日本國見在書目録に就いて
狩野直喜
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(例)※[#「木+確のつくり」、第4水準2−15−25]
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(例)爲[#二]灰燼[#一]
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古典の研究で尤大切なものは、或時代に編纂された書籍目録である。學者が千歳の後に生れて、古書の佚存を知り、或程度まで學術の源委と、時代の學風とを窺ふことの出來るのは、目録に負ふ所が多い。殊に支那の如き秦皇の焚書によつて經籍殘缺したと云ふ事實があり、それから後世に至るまで書籍の散佚が多いと同時に古書の僞作も亦盛んに行はるゝ所には、本文研究の上に於て、極めて緊要なものである。是れ西漢の世、已に劉向父子などの目録學に從事した所以であつて清儒王鳴盛が目録の學。學中第一緊要事。必從此問塗。方能得其門而入。と云ひ([#ここから割り注]十七史商※[#「木+確のつくり」、第4水準2−15−25]卷一[#ここで割り注終わり])又我國にて松崎慊堂が門人に先づ漢書藝文志を讀ませたと云ふも同じ事である([#ここから割り注]史學雜誌三十九卷、先師島田博士の『史學と目録學との關係』と題する論文を見よ。[#ここで割り注終わり])。
さて前に述る如く、支那では劉向の別録其子※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略を始めとし、晉旬勗の中經新簿、宋王儉の四部書目録、及び七志、梁阮孝緒の七録、其他魏晉から隋までに出來た目録書と云ふものは實に夥い、さうして多くは當時學者の手に成つたものである。これは純粹な書目であるが、其外正史の内に、藝文志若しくは經籍志の名前で、其時代に現存した經籍を著録して居る。即ち前に擧げた七略を本として作つた漢書藝文志、それから隋書經籍志、舊唐書經籍志、新唐書藝文志と云ふ順序になつて來る。晉の袁山松が著した後漢書にも藝文志があつたらしいが([#ここから割り注]廣弘明集に收むる阮孝緒七録序に見ゆ。[#ここで割り注終わり])、けれども今は傳らぬ。又劉向父子及び荀、王、阮の書も傳らぬから、最古い目録書としては矢張漢志以下の四種より外にない。然るにこゝに邦人が編纂した支那書の目録がある。即ち日本國見在書目録であつて、編纂の時代は支那で唐昭宗の時代に當る
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