思潮に對して、近來一部支那人の間に懷疑の念を抱いて參つたのであります。此の政治道徳に關する思想から出來上つた所の數千年來の風俗習慣と云ふものは根柢から崩れ掛つて參つたのであります。勿論此事は今日に始つた事ではありません。丁度十年ばかり前に私が留學致しまして支那の南北に三年の間滯在して居りましたが、其時この支那の人心が變動を受けて居ると云ふことを當時感じましたのであります。隨分その時分には青年の間には儒教と云ふやうなものが迚も今日の時世に適せないのである、是からして舊道徳は廢れて新道徳が行はれなければならぬ、何うしても夫でなければ人心を滿足させることは出來ないと云ふことを唱へた青年があつたのであります。併し之は青年間に新しき空氣を吸つた一部分でありまして、當時の政治家學者の間には、まだそんな考はなかつた。例へば張之洞と云ふやうな人の考を聞きますと、形而下の學問と云ふものは何うしても西洋から採らなければならぬ、併しながら政治道徳の根本思想は支那に既に在るのであつて、決して西洋から採るに及ばない、詰り和魂漢才と云ふ言葉が日本にあれば、支那では漢魂洋才で往かうといふ考であつた。當時私は或人に對
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