やうなものも夫れ/\幸福に一生涯を送ることが出來る、詰り上下君臣或は國と國との區別と云ふものもスッカリ無くなつて來る時代、是が大同時代と云ふ、孔子は今の言葉で申しますと此の大同時代に憧憬れて居つたと云ふことでありまして、我々が普通漢學で教はつて居る事とは餘程違つて參ります。此頃袁世凱や或は政府の當局などが世人に示したものを見ると此の意味がある。今は大同の時代に段々近づいて居る、帝王が無くなつて選擧に依つて大統領が出來ると云ふのは即ち孔子の大同時代に一歩を進めたものであると云ふ事であつて、孔子が其事を聞いたならば歡ぶであらうと考へて居りますが、どうも儒教では一般に受取られない。それは朱子學でも陽明學でも何うも共和政治のことを儒教の上から説くことは困難である。無論儒教の上で説明すると云ふやうな事になると公羊學と云ふやうなものは一番都合が好いかも知れません。私は先年まだ革命の起らぬ以前に大學で公羊學の學説を述べて置いた事もありますが、どうも私が最初に申述べた通り現在支那の共和政體を説明するに便利が宜い點から、公羊學と云ふものは非常に支那では流行して居るのであります。此の公羊學の批評と云ふこと
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