旨として日本にはないので假令そんな大部なものを出版しても買手がない。本屋で到底引受けないと云ふ事を云つたが、ホ氏が云ふにそれなれば獨逸皇帝から日本皇帝陛下に親書を差し上げ、貴國皇帝陛下に御文庫内にある道經を出版する事を御勸め致したら、どんなものだらうと云ふから私は其返事に困つてそれは知らん併しさう云ふ事になつたなれば、我皇帝に於かせられても御出版になるか解らんと云ひますと、ホ氏は不日參内するから其節皇帝に奏上しようといひました。それによつて私はホ教授が時々皇帝から謁見を賜はり支那事情を御下問に應じて居る事を知つたが、歸り道で日本の大使館へよつて其事を話したら參事官から大變小言をいたゞいた。君は馬鹿な事を云ふから大使館として色々迷惑の事を仕なければならん、そんな事をなぜ言つたと云つてしかられましたが恰度幸ひ戰爭が起つて皇帝が退位をなして大使館參事官もどれだけかの手數が省ぶけた譯であります、又伯林圖書館に行つて支那部の書籍を見ました、館長が云ふのに今支那に關する圖書は餘り無いのでありますけれど盛んに蒐集中であると云ふ事で、どんな書籍を集めて居るかと云ふと、山東を中心として山東の地理歴史工業と云ふものに關する本から第一に並べてゐる、私は山東の聊城と云ふ所に楊と云ふ古い家がある、そこに古い本を持つてゐる、之は專門の學者がよく承知してゐるのであるが、伯林の圖書館長はまさかそれを知るまいと思つて知らんふりしてお前の國の占領してゐる青島から餘り遠くない所に非常な藏書家がある、學術上貴重な本を以つてゐる人がある、あなた知らんだらうと云つたら、先生ニツコと笑つてそれは、聊城の楊氏の事であらう、あれは中々金持で一寸賣らんので六ヶ敷と云つて居つた。支那から何千里も離れてゐる伯林で聊城の楊氏をチヤント知つて居るには驚いた。我國が青島を占領してより以來、日本の官吏實業家も澤山往つたと思ふが聊城の楊氏を御存じの方は殆んどなかつたらうと思ひます、西洋人の目の付け處は例へば實業家的立場から云つても支那を知るには學問をしなければならん、事實を知つたゞけではいけない、モツト深く立ち入つて知らなければならんといふ考が實に感心である。又伯林では東洋語學校と云ふのがあつて支那部に參つて見ると、語學以外に山東商業山東礦業工業と云ふ問題で山東を中心として講義をやつて居ました。それで伯林大學生が講義を聞き終つてからこの支那部に通ひ、支那に關する豫備知識を得て初めて支那に行くと云ふ事になつてゐる。今度は露西亞になりますが露國も亞細亞と特殊の關係ある處から大學中に東洋語學と云つたか文學と云つたか名を忘れたが東洋專門の一の學部がある、而して其支那部に行つて見ると教授助教授學生達が澤山居る。而して露西亞でどう云ふ本を集めてゐるかと云ふと、蒙古、滿洲、朝鮮、中央亞細亞等露西亞に接近した關係深い所の文獻に關する支那語の著述を集めてゐる。イワノフと云ふ教授があつて、私は此人と露西亞革命以前までは文通して居たが先年新聞で見るとヨッフエの顧問になつて滿洲へ參つたと云ふ事であります、矢張り支那學者であるから顧問として連れて來たのだと思はれます。詰り露西亞と支那の關係は實際の必要といふ所から、支那學といふものが起つて居る。さてこの實際の必要といふ所から我國と支那の關係は如何といふに、それは今更諸君の前で一言も申さずとも解ると思ふ。支那と日本は何處までも提携しなければならん、日本が損をする時分は支那も損をしなければならん、共存共榮と云ふ事は之は何人も云はない人はありません、而し支那に興味を持ちながら支那の研究は一般人が第二に置くと云ふ風では共存共榮もないと思はれます、私が諸君の前で貿易の事をお話するのは釋迦の前で何とかでありますが貿易の事だけ云つても支那は我國の一大市場であります、若しさうとすれば只支那の言語を知ることは必要であるが、其位で滿足せず、支那人を理解する、支那の文化を理解すると云ふ事は商賣の上より云つても極めて必要な事と思ひます、之は私が二十餘年前に支那に居た時の事で今日は左樣でないと思ふが支那の習慣として支那人は文字を大切にします、文字を書いた紙は粗末にしない、文字を粗末にするといけないと云ふ迷信を持つて居る。例へば煙草でも何でもレツテルに文字が書いたらのみさしを無暗に捨てる譯に往かぬ、それで文字のあるものは賣れないと云ふ話を聞いた、それはどうでもよろしいが支那の國民性と我が國民性とはどう云ふ處が違ふか、支那人と日本人は良く喧嘩をする、一所になれないやうな事があるが、之は實につまらん事から起る事が隨分あると思ふ。結局兩國民性の違ふ處がある。それで感情の働き具合が亦た違つて居る。道徳風俗習慣を比較しても我國民の最も重んずる處は彼之を重んぜず、彼重んずる處吾却て之を輕んずると云ふ事がある、それが知らず識らずの間に彼等の感情を害し又彼より輕蔑せらるゝ事となります。
 或時私は支那内地を旅行した。其時賢こさうな子供があつてそれをボーイに雇つて上海に連れて歸つた。上海では當時宿屋に居りましたから私と同じ食物を此ボーイに取らせる譯にいかんから日本の下女下男の居間に之を置いた處が其子供が私の室へ這入つて來て申しますのに私は豫てから日本は非常な文明國と聞いてあなたのボーイに雇つて貰つた事を誠に光榮に思ひます、そして日本へ連れて行つて貰ふ事と思つて居りました。處が今日宿の下男下女の室に居つた處が二人でふざけて男が女の背をたゝいて笑つて居る、全く禮儀がない、あれは一體どうした事ですかと云ふのですから私も一寸其返事に困つたが、實はあの下男下女は日本に居れないで上海に逃げて來た者である、あゝ云ふ者は凡て外國に逃亡してしまふのだ日本ではそんなつまらん事をする者は一人もないと云つてゴマかしたのであります。私は何も支那の肩を持つて支那の風俗は日本より良い、男女關係も日本より支那がよいと云ふのではありません、併し御承知の通り支那人は最も禮儀を貴ぶ者であります、殊に個人の禮儀を貴ぶ事は日本より強い。一體支那人は個人本位で個人の體面とか禮儀を重んずる事に於て鋭どい感じを持つてゐる之を缺くと非常な侮辱と感ずる、其代り國としては大した侮辱を感じない、例へば支那の人に向つてお前の國はいけないと云つても自分は其國民でありながら侮辱せられた感じを起さない、而し個人に對しお前の態度が惡いといつたら吾々日本人が他人よりさう云はれた場合の感じより一層ヒドイ感じを生ずる樣である。
 吾々は外交の事は薩張り知らんが二十一ヶ條と云ふ樣な事が排日の原因の一つであるが、然らば二十一ヶ條とは何かと支那人に尋ねたら其一ヶ條も知らん人間が澤山ある、而し只二十一ヶ條と云ふだけで吾々を侮辱したと云ふので名義と云ふ上より非常に惡い印象を與へてゐる。
 結局彼等は其所謂體面といふことに鋭どき感を有つて居るが、それが支那の國民性でありますが、此國民性と云ふものは一朝一夕で出來たものでなく、御承知の通り支那の歴史と云ふものは四千有余年以來續いて居るので支那の事を知らんとすれば其初に溯ぼつて研究しなければならん、云ひかへれば即ち古典は支那文明の結晶で、あれが基で今日の文明を來たしたのであります、例へば婚禮は支那風俗の一つの現象ですが其婚禮を學問的に調らべると經書の中の儀禮の中の士昏禮から始めねばならぬ。總べて今日吾々が見る樣な支那人の宗教思想、道徳思想、風俗習慣と云ふものがどう云ふ事から來たかと云ふ事を考へるには、勢、四千年の昔に溯ぼつて古典の研究より發せねばならぬ。而してそれをなすには種々な困難が伴つてゐる、第一先づ文字を知る事、支那の文章を讀むと云ふ事之は非常に六ヶ敷い事で、先にお話した伯林大學の教授が話した事がありますが、自分は希臘語ラテン語もヱジプトの文字も少し知つて居るが併し世界で一番學びにくいものは支那文であると申された。吾々日本人は昔から此漢字を祖先以來習つてゐたのであります、西洋人が支那文字を讀む事に困難を感ずる樣には今日漢文が假令衰へて居つてもそれほどまではない。其點から云つても支那の研究は日本人が率先して致さなければならん。而して之を日本人が西洋人に傳へると云ふ意氣込でなければならんと思ふのであります、我國の支那學者は勿論の事であります、只學者の事業にのみ委かさず凡ての國民が同樣の感じを持つ事が必要である、本校は或極まつた目的を持つて建てられた學校で私が特に希望するのは若し諸君の内支那の貿易と云ふ樣な事をやらうと云ふ人があつたらどうか支那文化の學術的研究と云ふ事は六ヶ敷としても、只實業の點から考へて見ても今日まで我國の人に考へられた支那智識より以上の支那智識を得て支那に於て仕事をせられん事を希望する、然らば其諸君の目的とせらるゝ處の商業其ものに就ても非常に利益する事ではあるまいかと思ひます。
 私は講演が極く拙劣で話を致しまする者も非常に苦しいので傾聽して下さる方は定めし更に御つらいと思ひます、極めて論點が支離滅裂で御解りにくい事と思ふのであります、一場の講演によつて私は責だけを塞ぐ事に致します。(拍手)[#地付き](大正十四年二月、和歌山高等商業學校パンフレツト、特別號)



底本:「支那學文藪」みすず書房
   1973(昭和48)年4月2日発行
初出:「和歌山高等商業學校パンフレツト、特別號」
   1925(大正14)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「餘」と「余」の混在は底本通りにしました。
入力:はまなかひとし
校正:小林繁雄
2006年7月18日作成
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