らこの支那部に通ひ、支那に關する豫備知識を得て初めて支那に行くと云ふ事になつてゐる。今度は露西亞になりますが露國も亞細亞と特殊の關係ある處から大學中に東洋語學と云つたか文學と云つたか名を忘れたが東洋專門の一の學部がある、而して其支那部に行つて見ると教授助教授學生達が澤山居る。而して露西亞でどう云ふ本を集めてゐるかと云ふと、蒙古、滿洲、朝鮮、中央亞細亞等露西亞に接近した關係深い所の文獻に關する支那語の著述を集めてゐる。イワノフと云ふ教授があつて、私は此人と露西亞革命以前までは文通して居たが先年新聞で見るとヨッフエの顧問になつて滿洲へ參つたと云ふ事であります、矢張り支那學者であるから顧問として連れて來たのだと思はれます。詰り露西亞と支那の關係は實際の必要といふ所から、支那學といふものが起つて居る。さてこの實際の必要といふ所から我國と支那の關係は如何といふに、それは今更諸君の前で一言も申さずとも解ると思ふ。支那と日本は何處までも提携しなければならん、日本が損をする時分は支那も損をしなければならん、共存共榮と云ふ事は之は何人も云はない人はありません、而し支那に興味を持ちながら支那の研究は一般人
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