が第二に置くと云ふ風では共存共榮もないと思はれます、私が諸君の前で貿易の事をお話するのは釋迦の前で何とかでありますが貿易の事だけ云つても支那は我國の一大市場であります、若しさうとすれば只支那の言語を知ることは必要であるが、其位で滿足せず、支那人を理解する、支那の文化を理解すると云ふ事は商賣の上より云つても極めて必要な事と思ひます、之は私が二十餘年前に支那に居た時の事で今日は左樣でないと思ふが支那の習慣として支那人は文字を大切にします、文字を書いた紙は粗末にしない、文字を粗末にするといけないと云ふ迷信を持つて居る。例へば煙草でも何でもレツテルに文字が書いたらのみさしを無暗に捨てる譯に往かぬ、それで文字のあるものは賣れないと云ふ話を聞いた、それはどうでもよろしいが支那の國民性と我が國民性とはどう云ふ處が違ふか、支那人と日本人は良く喧嘩をする、一所になれないやうな事があるが、之は實につまらん事から起る事が隨分あると思ふ。結局兩國民性の違ふ處がある。それで感情の働き具合が亦た違つて居る。道徳風俗習慣を比較しても我國民の最も重んずる處は彼之を重んぜず、彼重んずる處吾却て之を輕んずると云ふ事がある
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