と云ふものに關する本から第一に並べてゐる、私は山東の聊城と云ふ所に楊と云ふ古い家がある、そこに古い本を持つてゐる、之は專門の學者がよく承知してゐるのであるが、伯林の圖書館長はまさかそれを知るまいと思つて知らんふりしてお前の國の占領してゐる青島から餘り遠くない所に非常な藏書家がある、學術上貴重な本を以つてゐる人がある、あなた知らんだらうと云つたら、先生ニツコと笑つてそれは、聊城の楊氏の事であらう、あれは中々金持で一寸賣らんので六ヶ敷と云つて居つた。支那から何千里も離れてゐる伯林で聊城の楊氏をチヤント知つて居るには驚いた。我國が青島を占領してより以來、日本の官吏實業家も澤山往つたと思ふが聊城の楊氏を御存じの方は殆んどなかつたらうと思ひます、西洋人の目の付け處は例へば實業家的立場から云つても支那を知るには學問をしなければならん、事實を知つたゞけではいけない、モツト深く立ち入つて知らなければならんといふ考が實に感心である。又伯林では東洋語學校と云ふのがあつて支那部に參つて見ると、語學以外に山東商業山東礦業工業と云ふ問題で山東を中心として講義をやつて居ました。それで伯林大學生が講義を聞き終つてか
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