眼鏡をかけて判斷する。又英國人が支那に對する興味は貿易であるから、支那の研究でも或る必要といふ事から出發する、學究的に實用を主とせずして遣る傾向は少ない。而して其研究をするものは外交官とか、領事とか商人とかで、職務の傍ら色々の事を只物好きにやる所謂素人が多い。かゝるものが年を取るに隨つて大學の教授になる、或はそれが英國人の長所かしらんが又短所であります、支那の事に付て書いた本を讀んでも素人に解るやうに書いてある、極めて大きい問題をつかまへて概念を與へるやうに書いてある、一部刻みに細かく事實を考證するといふ風が乏しい。夫れから獨逸であります、獨逸は御承知の通り各般の學問の極めて盛んな國でありますが、其國と支那との關係が英佛の如く古くないから、或特殊の事柄を除き、支那文化の研究に就いて申さば將來はいざ知らず過去に於ては兎に角餘り進んではゐない。先年伯林大學の正教授で支那學を擔任したデホロートと云ふ人がありました。元來此人は和蘭人で獨逸人ではありません。元來ライデンの教授であつたのを獨逸皇帝が和蘭に懸合ひ無理に伯林へ引張つて來たのであります、私は先年伯林で此人を教室に訪ね、又客にも招かれて御
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