文化の研究は必要でない、學者の閑事業位に考へて居るから、日本人でありながら日本過去の文化も從つて分らない事となる。
以上は純粹な學術的の立場から支那を研究する事のお話でありますが、第二段に於て政治上、貿易上、總べて實際の利害關係より支那を攻究すると云ふ立場、其國々は何處かと云ふと、英、獨、露であります。最も御斷りをして置くが私は十年以前の事を話してゐるのであります、米國へ私は參りませんが米國と支那の關係は深くなつて來たが、支那學研究といふ點からいへば歐洲諸國に及びません。尤米國にも只今二三名の支那學者が居て立派な研究の結果を出しては居るものゝそれは主として獨人、或は獨逸系の人であります、米國では餘り金儲が忙しいから支那の學問までする餘裕がないのであるか分りません。然るに英國はさうでない、支那學は昔から闢けて居てモリソン、スタウントンなどの學者も出た。一體英國と云ふ所は第一外國を非常に輕蔑する、自分が一番優秀な國民だと云ふ自惚れを持つて居るから、外國殊に東洋の事などを研究するに、其國人の頭になつて考へる事をしない。何時でも己が偉い、支那文化は一段劣つたものとの先入の見があり、又一種の色
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