は學校とは云ふが一つの研究所であります、學生は一人もありません、日本部支那部安南部と分れて專門の學者があつて宗教、文學、言語、歴史、美術と云ふ風に支那日本の事を研究して居る、私は支那部教授も日本部教授も皆知つて居るが日本部教授は二三年前亡くなりましたが、其日本通は實に驚くべきもので吾々よりもモツト文法的に正しい言葉を使つてゐました。能樂に興味を持つて居つて謠《ウタヒ》の間拍子まで良く心得てゐる程の人であつた。かゝる具合であるから佛國人は自ら誇つて西洋に於ける支那學は佛國が本家であると云ふやうな事を本に書いてある、あながち國自慢の言葉ではないかと思ひます。そこで之を我國に於て照らして考へて見ると、我國が從來如何に支那文明に負ふ處の大であつたかは今更申すまでもない事であります、過去に於て我日本の歴史文學美術工藝凡て何事も支那の影響を受けないものはない、支那の文明を知らずして我國過去の文明を理解する事の出來ないと云ふ事は申すまでもない。此點より見れば我國に於て支那文化の智識的、學術的研究が必要である事は言を待たない。然るに殘念な事には我國一般の人士は西洋の智識を得ることに計りに汲々として支那
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