屬家人之物、三、本人子孫所[#二]自得[#一]之物を擧げて居る。これに就き、張之洞などの意見によれば、支那從來の道徳では親親といふ事が一番大切で、祖父母父母存生のうちに、其子孫なるものが、別に戸籍を立て、財産を分けるといふ如きは、非常に惡いことゝ考へられて居る。これは獨り道徳上許されざるのみならず、舊律では之を罪して居る。大清律例に十惡の條があつて、不孝は其一であるが、不孝といふ所の細注に分産を以て其一例としてある。然るに新法典によると、明に父子兄弟夫婦の異産を認めて居るは不都合極まる話であるし、又實際の處、今日支那の社會では、一家の財産中で、これは戸主のもの、これは父母のもの、妻のものと區別されて居ないから、此の規則は獨り數千年養成し來つた善良の風俗を破壞するのみならず、實際に行ふことは困難である。それから新法典には辯護士の規定があつて、凡律師倶准[#下]在[#二]各公堂[#一]。爲[#レ]人辨[#上レ]案としてあれど、從來支那では一般に訴訟といふもの餘り善い事となつて居ない、又實際地方では人の爲め訴訟に干預するものは訟師若しくは訟棍など稱する公事師であつて、此等は無智な人民を煽動し
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