予輩は本誌前々號に於て、支那最近の國粹主義が教育制度の上に顯はれた點を述べた。然るに學部などではかく危險思想の蔓延を防がんとして、教育宗旨に關する上諭を奏請したり、其他種々の方法を以て、舊來の禮教を維持しようとして居るのに、又一方法部では新法典の編纂に從事して居たが、光緒三十二年に刑事民事訴訟法、其翌年には刑法の草案が出來て上奏に及び、朝廷ではこれを督撫將軍に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はし、其意見を徴せられた。この法典は申す迄もなく、治外法權を撤去するのが目的で、實際人民の程度をも顧みず、又それが丸るで東西諸國の法律を飜譯したもので、中國固有の道徳や習慣に反對する事が多いといふので、各方面から非難の聲が高まつた。先づ刑事民事訴訟法に對する非難の點を二三擧げようなら、例せば第一百三十條にかういふ規定がある。即ち凡そ民事の裁判で、被告の敗訴となり、原告に交すべき金錢若しくは訴訟費用を出す能はざるときは、裁判所は原告の申請を經たる後、被告の財産を査封《サシオサヘ》するを得。然れども左列の各項は査封備抵の限りにあらずとて、一、本人妻所有之物、二、本人父母兄弟姉妹、及各戚
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