より宜しく戒めて其振作を圖るべきもの、即ち尚公、尚武、尚實の三箇條である。今唯忠君[#「忠君」に白丸傍点]、尊孔[#「尊孔」に白丸傍点]の二箇條に就いて見ると、例を獨逸と日本に取つて、「近世崛起之國。徳與[#二]日本[#一]稱[#レ]最矣。徳之教育。重在[#レ]保[#二]帝國之統一[#一]。日本之教育。所[#二]切實表章[#一]者。萬世一系之皇統而已。」などといひ、又孔子の道の偉大なることを説き「日本之尊王倒幕。論者以爲[#二]漢學之功[#一]。其所謂漢學即中國聖賢之學也。」といつて居る。一體支那人が孔教を云々するときには、必ず我國を引合にして居る。同年に湖北按察使梁鼎芬が、聖人の郷たる曲阜に曲阜學堂を立てんことを請ふ疏にも、「日本講[#二]孔子之學[#一]。有[#レ]會有[#レ]書。其徒如[#レ]雲。其書如[#レ]阜。孔教至爲[#二]昌盛[#一]。我中國尊[#二]崇孔子[#一]數千年。不[#レ]能[#レ]過[#レ]之。可[#レ]耻可[#レ]痛。」とある。其書如[#「其書如」に傍点][#レ]阜[#「阜」に傍点]も餘り夸大に失す。而して其内にはポケツト論語式のものが多いと思へば、却つて此
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