何か言おうとした時、顔じゅう瘤《こぶ》だらけの男がいきなり入って来た。真黒《まっくろ》の木綿著物――胸の釦を脱《はず》して幅広の黒帯をだらしなく腰のまわりに括《くく》りつけ、入口へ来るとすぐに老栓に向ってどなった。
「食べたかね。好くなったかね。老栓、お前は運気がいい」
 老栓は片ッ方の手を薬鑵に掛け、片ッぽの手を恭々《うやうや》しく前に垂れて聴いていた。華大媽もまた眼のふちを黒くしていたが、この時にこにこして茶碗と茶の葉を持って来て、茶碗の中に橄欖《かんらん》の実を撮み込んだ。老栓はすぐにその中に湯をさした。
「あの包《パオ》は上等だ、ほかのものとは違う。ねえそうだろう。熱いうちに持って来て、熱いうちに食べたからな」
 と瘤の男は大きな声を出した。
「本当にねえ、康《こう》おじさんのお蔭で旨く行きましたよ」
 華大媽はしんから嬉しそうにお礼を述べた。
「いい包《パオ》だ。全くいい包《パオ》だ。ああいう熱い奴を食べれば、ああいう血饅頭はどんな癆症《ろうしょう》にもきく」
 華大媽は「癆症」といわれて少し顔色を変え、いくらか不快であるらしかったが、すぐにまた笑い出した。そうとは知らず康おじさんは破《わ》れ鐘《がね》のような声を出して喋りつづけた。あまり声が大きいので奥に寝ていた小栓は眼を覚ましてさかんに咳嗽はじめた。
「お前の家《うち》の小栓が、こういう運気に当ってみれば、あの病気はきっと全快するにちがいない、道理で老栓はきょうはにこにこしているぜ」
 と胡麻塩ひげは言った。彼は康おじさんの前に言って小声になって訊いた。
「康おじさん、きょう死刑になった人は夏家《かけ》の息子だそうだが、誰の生んだ子だえ。一体なにをしたのだえ」
「誰って、きまってまさ。夏四※[#「女+乃」、第4水準2−5−41]※[#「女+乃」、第4水準2−5−41]《かしナイナイ》の子さ。あの餓鬼め」
 康おじさんはみんなが耳朶《みみたぶ》を引立てているのを見て、大《おおい》に得意になって瘤の塊《かたまり》がハチ切れそうな声を出した。
「あの小わッぱめ。命が惜しくねえのだ。命が惜しくねえのはどうでもいいが、乃公《おれ》は今度ちっともいいことはねえ。正直のところ、引ッ剥《ぺ》がした著物まで、赤眼の阿義《あぎ》にやってしまった。まあそれも仕方がねえや。第一は栓じいさんの運気を取逃がさねえためだ。第二は夏三爺《かだんな》から出る二十五両の雪白々々《シュパシュパ》の銀をそっくり乃公《おれ》の巾著《きんちゃく》の中に納めて一文もつかわねえ算段だ」
 小栓はしずしずと小部屋の中から歩き出し、両手を以て胸を抑《おさ》えてみたが、なかなか咳嗽がとまりそうもない。そこで竈の下へ行ってお碗に冷飯《ひやめし》を盛り、熱い湯をかけて喫《た》べた。
 華大媽はそばへ来てこっそり訊ねた。
「小栓、少しは楽になったかえ。やッぱりお腹《なか》が空くのかえ」
「いい包《パオ》だ。いい包《パオ》だ」
 と康おじさんは小栓をちらりと見て、皆《みな》の方に顔を向け
「夏三爺はすばしッこいね。もし前に訴え出がなければ今頃はどんな風になるのだろう。一家一門は皆殺されているぜ。お金!――あの小わッぱめ。本当に大それた奴だ。牢に入れられても監守に向ってやっぱり謀叛《むほん》を勧めていやがる」
「おやおや、そんなことまでもしたのかね」
 後ろの方の座席にいた二十《にじゅう》余りの男は憤慨の色を現わした。
「まあ聴きなさい。赤眼の阿義が訊問にゆくとね。あいつはいい気になって釣り込もうとしやがる。あいつの話では、この大清《だいしん》の天下はわれわれの物、すなわち皆《みな》の物だというのだ。ねえ君、これが人間の言葉と思えるかね。赤眼はあいつの家にたった一人のお袋がいることを前から承知している。そりゃ困っているにはちがいないが、搾り出しても一滴の油が出ないので腹を欠いているところへ、あいつが虎の頭を掻いたから堪らない。たちまちポカポカと二つほど頂戴したぜ」
「義哥《あにき》は棒使いの名人だ。二つも食ったら参っちまうぜ」
 壁際の駝背がハシャギ出した。
「ところがあの馬の骨め、打たれても平気で、可憐《かわい》そうだ。可憐《かわい》そうだ、と抜かしやがるんだ」
「あんな奴を打ったって、可憐《かわい》そうも糞もあるもんか」
 胡麻塩ひげは言った。
 康おじさんは彼の穿《は》きちがえを冷笑した。
「お前さんは乃公《おれ》の話がよく分らないと見えるな。あいつの様子を見ると、可憐《かわい》そうというのは阿義のことだ」
 聴いていた人の眼付はたちまちにぶって来た。小栓はその時、飯を済まして汗みずくになり、頭の上からポッポッと湯気を立てた。
「阿義が可憐《かわい》そうだって――馬鹿々々しい。つまり気が狂ったんだな」
 胡麻塩ひげは大
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