《おおい》にわかったつもりで言った。
「気が狂ったんだ」
と、二十《はたち》余りの男も言った。
店の中の客は景気づいて皆《みな》高笑いした。小栓も賑やかな道連れになって懸命に咳嗽をした。康おじさんは小栓の前へ行って彼の肩を叩き
「いい包《パオ》だ! 小栓――お前、そんなに咳嗽《せ》いてはいかんぞ、いい包《パオ》だ!」
「気狂《きちが》いだ」
と駝背の五少爺も合点《がてん》して言った。
四
西関外《せいかんがい》の城の根元に靠《よ》る地面はもとからの官有地で、まんなかに一つ歪《ゆが》んだ斜《はす》かけの細道がある。これは近道を貪る人が靴の底で踏み固めたものであるが、自然の区切りとなり、道を境に左は死刑人と行倒《ゆきだう》れの人を埋《うず》め、右は貧乏人の塚を集め、両方ともそれからそれへと段々に土を盛り上げ、さながら富家《ふけ》の祝いの饅頭を見るようである。
今年の清明節《せいめいせつ》は殊の外寒く、柳がようやく米粒ほどの芽をふき出した。
夜が明けるとまもなく華大媽は右側の新しい墓の前へ来て、四つの皿盛と一碗の飯を並べ、しばらくそこに泣いていたが、やがて銀紙を焚いてしまうと地べたに坐り込み、何か待つような様子で、待つと言っても自分が説明が出来ないのでぼんやりしていると、そよ風が彼女の遅れ毛を吹き散らし、去年にまさる多くの白髪《しらが》を見せた。
小路《こみち》の上にまた一人、女が来た。これも半白《はんぱく》の頭で襤褸《ぼろ》の著物の下に襤褸の裙《はかま》をつけ、壊れかかった朱塗《しゅぬり》の丸籠を提げて、外へ銀紙のお宝を吊し、とぼとぼと力なく歩いて来たが、ふと華大媽が坐っているのを見て、真蒼《まっさお》な顔の上に羞恥の色を現わし、しばらく躊躇していたが、思い切って道の左の墓の前へ行った。
その墓と小栓の墓は小路《こみち》を隔てて一文字《いちもんじ》に並んでいた。華大媽は見ていると、老女は四皿のお菜《さい》と一碗の飯を並べ、立ちながらしばらく泣いて銀紙を焚いた。華大媽は「あの墓もあの人の息子だろう」と気の毒に思っていると、老女はあたりを見廻し、たちまち手脚を顫わし、よろよろと幾歩か退《しりぞ》いて眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]って※[#「りっしんべん+正」、第3水準1−84−43]《おそ》れた。その様子が傷心のあまり今にも発狂しそうなので、華大媽は見かねて身を起し、小路《こみち》を跨いで老女にささやいた。
「老※[#「女+乃」、第4水準2−5−41]※[#「女+乃」、第4水準2−5−41]《ラオナイナイ》、そんなに心を痛めないでわたしと一緒にお帰りなさい」
老女はうなずいたが、眼はやッぱり上ずっていた。そうしてぶつぶつ何か言った。
「あれ御覧なさい。これはどういうわけでしょうかね」
華大媽は老女のゆびさした方に眼を向けて前の墓を見ると、墓の草はまだ生え揃わないで黄いろい土がところ禿げしてはなはだ醜いものであるが、もう一度、上の方を見ると思わず喫驚《びっくり》した。――紅白の花がハッキリと輪形《わがた》になって墓の上の丸い頂きをかこんでいる。
二人とも、もういい年配で眼はちらついているが、この紅白の花だけはかえってなかなかハッキリ見えた。花はそんなにも多くもなくまた活気もないが、丸々と一つの輪をなして、いかにも綺麗にキチンとしている。華大媽は彼女の倅の墓と他人の墓をせわしなく見較べて、倅の方には青白い小花がポツポツ咲いていたので、心の中では何か物足りなく感じたが、そのわけを突き止めたくはなかった。すると老女は二足三足、前へ進んで仔細に眼をとおして独言《ひとりごと》を言った。
「これは根が無いから、ここで咲いたものではありません――こんなところへ誰がきましょうか? 子供は遊びに来ることが出来ません。親戚も本家も来るはずはありません――これはまた、何としたことでしょうか」
老女はしばらく考えていたが、たちまち涙を流して大声上げて言った。
「瑜《ゆ》ちゃん、あいつ等はお前に皆《みな》罪をなすりつけました。お前はさぞ残念だろう。わたしは悲しくて悲しくて堪りません。きょうこそここで霊験をわたしに見せてくれたんだね」
老女はあたりを見廻すと、一羽の鴉《からす》が枯木《かれぎ》の枝に止まっていた。そこでまた喋り始めた。
「わたしは承知しております。――瑜ちゃんや、可憐《かわい》そうにお前はあいつ等の陥穽《かんせい》に掛ったのだ。天道様《てんとうさま》が御承知です、あいつ等にもいずれきっと報いが来ます。お前は静かに冥《ねむ》るがいい。――お前は果《はた》して、しんじつ果《はた》してここにいるならば、わたしの今の話を聴取ることが出来るだろう――今ちょっとあの鴉をお前の墓の上へ飛ばせて御覧」
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