かされた。そこは一条の丁字街《ていじがい》がありありと眼前に横たわっていたのだ。彼はちょっとあと戻りしてある店の軒下に入った。閉め切ってある門に靠《もた》れて立っていると、身体が少しひやりとした。
「ふん、親爺」
「元気だね……」
老栓は喫驚《びっくり》して眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った時、すぐ鼻の先きを通って行く者があった。その中《うち》の一人は振向いて彼を見た。かたちははなはだハッキリしないが、永く物に餓えた人が食物《たべもの》を見つけたように、攫《つか》み掛って来そうな光がその人の眼から出た。老栓は提灯を覗いて見るともう火が消えていた。念のため衣套をおさえてみると塊りはまだそこにあった。老栓は頭《かしら》を挙げて両側を見た。気味の悪い人間が幾つも立っていた。三つ二つ、三つ二つと鬼のような者がそこらじゅうにうろついていた。じっと瞳を据《す》えてもう一度見ると別に何の不思議もなかった。
まもなく幾人か兵隊が来た。向うの方にいる時から、著物の前と後ろに白い円い物が見えた。遠くでもハッキリ見えたが、近寄って来ると、その白い円いものは法被《はっぴ》の上の染め抜きで、暗紅色《あんこうしょく》のふちぬいの中にあることを知った。一時足音がざくざくして、兵隊は一大群衆に囲まれつつたちまち眼の前を過ぎ去った。あすこの三つ二つ、三つ二つは今しも大きな塊りとなって潮《うしお》のように前に押寄せ、丁字街の口もとまで行くと、突然立ち停まって半円状に簇《むらが》った。
老栓は注意して見ると、一群の人は鴨の群れのように、あとから、あとから頸《くび》を延ばして、さながら無形の手が彼等の頭を引張っているようでもあった。暫時静かであった。ふと何か、音がしたようでもあった。すると彼等はたちまち騒ぎ出してがやがやと老栓の立っている処まで散らばった。老栓はあぶなく突き飛ばされそうになった。
「さあ、銭と品物の引換えだ」
身体じゅう真黒な人が老栓の前に突立って、その二つの眼玉から抜剣《ぬきみ》のような鋭い光を浴びせかけた時、老栓はいつもの半分ほどに縮こまった。
その人は老栓の方に大きな手をひろげ、片ッぽの手に赤い饅頭《まんじゅう》を撮《つま》んでいたが、赤い汁は饅頭の上からぼたぼた落ちていた。
老栓は慌てて銀貨を突き出しガタガタ顫えていると、その人はじれったがって
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