に掛け、斤目によって名前を附ける。九斤老太は五十の年を祝ってから、だんだんと不平家になった。彼女はいつも若い時の事をはなして、天気はこんなに熱くはなかった、豆はこんなに硬くはなかった、と、なんでも皆、今の世の中が悪くて昔の世の中がいいのだ。まして六斤は彼の祖父の九斤に比べると三斤足りない。彼の父の七斤《しちきん》に比べると一斤足りない。これこそ本当に正真正銘の事実だから彼女は、「代々落ち目になるばかりだ」と固く言い張るのである。
七斤ねえさんというのは、彼女の倅の※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》である。その時七斤ねえさんは飯籃《めしかご》をさげて卓《テーブル》の側《そば》に行き、卓上に飯籃を投げ卸してプリプリ腹を立てた。「おばあさん、またそんなことを言っているよ。内の六斤が生れた時には六斤五両ありましたよ。内の秤は自家用の秤ですから掛目があらくなっているので、十八両が一斤です。もし十六両秤をつかえば六斤は七斤余りになります。わたしはそう思うの。曾祖父《ひいじいさん》や祖父《おじいさん》はきっと十四両秤をつかったんですよ。普通の秤に掛ければ、せいぜい九斤か八斤くらいの
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