誰だって彼に抵抗することは出来ない」
彼は両手をひろげて空拳《こぶし》を振り上げ、さながら無形の蛇矛を握っているような体裁で、八一ねえさんに向って幾歩か突進した。「お前は彼に抵抗することが出来るか」
八一ねえさんは腹立ちのあまり子供を抱えて顫《ふる》えていると、顔じゅう脂汗の趙七爺がたちまち眼を瞠《みは》って突進して来たのでこわくなって、言いたいことも言わずにすたすた歩き出した。
趙七爺もすぐその跡に跟《つ》いて歩いた。衆人は八一ねえさんの要らぬ差出口を咎めながら通り路をあけた。剪り去った辮子を延ばし始めた者が、幾人か交じっていたが、早くも人中に躱《かく》れて彼の目を避けた。趙七爺はそんなものには目も呉れず人中を通り過ぎて、たちまち烏臼木の蔭に入り、「お前は抵抗することが出来るか」といいながら独木橋《まるきばし》の上へ出て悠々と立去った。
村人はぼんやり突立って腹の中でじっと考えてみると、乃公達は確かに趙翼徳に対して抵抗は出来ない。そうすると七斤の命は確かに無いものだ。七斤は既に掟を犯した。想い出すと彼はいつも人に対して城内の新聞《ニュウス》を語る時、長煙管を銜えて豪慢不遜《ごうまんふそん》の態度を示していたが、これは実に不埒なことで、今度の犯法《はんぽう》についてもいくらか小気味好く思われた。彼等は何か議論を吐いてみようとしたが、議論の根拠がないので、やたらにがんがん騒いでいると、藪蚊は素っ裸の腕に突当たって烏臼木の下に飛び行き、そこに蚊の市をなした。そのうち彼等もぶらぶら歩き出しておのおのの家に帰った。七斤ねえさんもぶつぶつ言いながら皿小鉢やテーブルを片附け、家に入って門を閉めた。
七斤は欠け碗を持って部屋に入り、閾の上に腰掛けて煙草を吸ってみた。何しろ非常な心配事で、吸い込むのを忘れていると、象牙の吸口から出た六尺あまりの斑竹の先きにある白銅の火皿の中の火の光が、だんだんと黒ずんで来た。彼は心の中で大変あぶなくなったと思ったが、どういう風にしていいのか、どんな計らいをしていいのか、非常にぼんやりして掴みどころがなかった。
「辮子はね、辮子だ。丈八の蛇矛。代々落ち目になるばかりだ。天子様はお匿れになる。壊れたお碗は町へ持ってって釘を打たせればいい。誰が抵抗することが出来るか。書物の上に一条々々書いてある。畜生!……」
第二日の朝早く七斤はいつもの通
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
魯迅 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング