人で議論を完結すればそれで納得するのだ。
彼は説く。
「わたしは北京《ペキン》の双十節の次第を最も感服するのである。朝、警官が門口に行って『旗を出せ』と吩咐《いいつ》ける。彼等は『はい、旗を出します』と答える。どこの家でも大概は不承々々に一人の国民が出て来て、斑点だらけの一枚の金巾《かなきん》を掲げて、こうしてずっと夜まで押しとおし――旗を収めて門を閉めるのであるが、そのうち幾軒は偶然取忘れて次の日の午前まで掲げておく。
彼等は記念日を忘れ、記念日もまた彼等を忘れる。
わたしもこの記念日を忘れる者の一人だが、もし想い出すとすれば、あの第一双十節前後のことで、それが一時に胸に迫って来て、いろいろの故人の顔が皆眼の前に浮び出し、居ても立ってもいられなくなる。幾人の青年は、十年の苦心空しく、暗夜に一つの弾丸を受けて彼の命を奪《と》られたことや、幾人の青年は暗殺に失敗して監獄に入れられ、月余の苦刑を受けたことや、幾人の青年は遠大の志を抱きながら、たちまち行方不明になって首も身体《からだ》もどこへ行ったかしらん――
彼等は社会の冷笑、悪罵、迫害、陥穽の中に一生を過し、現在彼等の墓場は早く
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