も忘却され、次第々々に地ならしされてゆく。わたしはこれらの事を記念するに堪えない。それよりもわたしは今だに覚えている小気味のいい話をして聞かせよう」
Nはたちまち笑顔になり、手を伸ばして自分の頭を撫でまわしながら、声高に語った。
「わたしの最も得意としたのは、最初の双十節以後のことで、その時はもうわたしが道を歩いても人から笑われることがない。
老兄、君は知っているだろうが、髪の毛はわれわれ中国人の宝であり、かつ敵である。昔から今までどれほど多くの人が、この頂きのために何の直打《ねうち》もない苦しみを受けつつあったか?
ずっと昔のわれわれの古人について見ると、髪の毛は極めて軽く見られていたらしい。刑法に拠れば人の最も大切なものは頭脳だ。それゆえに大辟《しけい》は上刑である。次に必要なものは生殖器である。それゆえに宮刑《さおきり》と幽閉《へいもん》は、これもまた人を十分威嚇するに足る罰である。※[#「髟/几」、第4水準2−93−19]《かみきり》に至っては微罪中の微罪だが、かつてどれほど多くの人が、くりくり坊主にされたため、彼の社会から彼の大事な一生を蹂躙されたかしれん。
われわれは革命の講義をする時、楊州十日《ようしゅうとおか》(清初更俗強制《しんしょこうぞくきょうせい》の殺戮)とか、嘉定屠城《かていとじょう》とか大口開いて言ったものだが、実は一種の手段に過ぎない。ひらたくいうと、あの時の中国人の反抗は亡国などのためではない、ただ辮子《べんつ》を強いられたために依るのだ。
頑民《がんみん》は殺し尽すべし、遺老は寿命が来れば死ぬ。辮子はもはやとどめ得た。洪《こう》、揚《よう》(長髪賊の領袖《りょうしゅう》)がまたもや騒ぎ出した。わたしの祖母がかつて語った。その時の人民ほど艱《つら》いものはない。髪を蓄えておけば官兵に殺される、辮子を付けておけば長髪賊に殺される。
どれほど多くの中国人がこの痛くも痒くもない髪のために苦しみを受け、災難を蒙り、滅亡したかしれん」
Nは二つの眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って屋根裏の梁を眺め、しばらく思いめぐらしてなお説き続けた。
「まさか髪の毛の苦しみが、わたしの番に廻って来ようとは思わなかった。
わたしは留学に出るとすぐに髪を切った。これは別に深い意味があったわけでなく、ただこれがあると何かにつけて
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
魯迅 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング