》りに行った。ちらばら立っているのはこの村と隣の村の閑人であった。黒い苫船の中に立っているのはいうまでもなく村の物持の家族であった。けれど彼等は芝居を見ているのではなかった。大抵はそこでお菓子や果物や瓜などを食べていた。だから平たく言えば見物が無いと言ってもいいくらいで、雙喜が無駄だといったのも無理はない。
 わたしは格別、逆蜻蛉を見たいとも思わなかった。わたしの見たいのは、役者が白い布《きれ》をかぶって一つの蛇のような蛇の精を両手に捧げているのと、もう一つは黄いろい著物《きもの》を著《き》た虎のような虎が躍り出すことである。わたしはそれをいつまでも待っていたが遂に見ることが出来なかった。女形《おやま》が引込むと、今度は皺だらけの若旦那が出て来た。わたしはもう退屈して桂生《けいせい》に吩咐《いいつ》け豆乳を買いにやった。桂生はすぐ返って来た。
「ありません。豆乳屋の聾《つんぼ》は帰ってしまいました。昼間はあったんですがね、わたしは二杯食べました。仕方がない。お湯を一杯貰って来て上げましょうか」
 わたしはお湯も飲まずになお突立って芝居を見ていた。それも何を見たとハッキリ言うことが出来ないが、役者の顔がだんだん変槓《へんてこ》のものになって、五官の働きがあるのだか、ないのだか、何もかも一緒くたになって区別がつかなかった。小さな子供は勝手に自分の話をしていた。するとたちまち一人の赤い薄ぎぬを著た道化役が舞台の柱に縛られて胡麻塩※[#「髟/胡」、240−11]の者から鞭で打たれた。みんなはようやく元気づいて笑い出した。これはその一晩の中で、一番いい幕だった。そうこうしているうちに、ふけおやまが出た。
 ふけおやまはわたしの大嫌いなもので、何よりも坐って歌を唱うのがいやだ。この時ほかの見物人も皆いやな顔をしていたから、あの人達の考えもわたしと同じであることを知った。そのおやまは初めしずしず歩いて唱っていたが、しまいにとうとう真中の椅子の上に坐った。わたしはうんざりした。雙喜や他の人達もぶつぶつ言いだした。わたしは我慢してしばらく見ているとその役者は手を挙げたので立って行《ゆ》くのか、と思ったところが、いやはや、やっぱりもとの処で長々しく唱い続けた。船の中の者はみんな溜息を吐《つ》いたり欠伸《あくび》をしたり。雙喜は終《つい》に堪えかね、「こいつはあしたまで続きそうだぜ。もう
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