坐し、手を上げて言った。「泣くでないぞ、好い子だから、お父さんはね、猫が顔を洗うところを見せてやるぞ」と、彼は首を伸してペロリと舌を出し、手の掌《ひら》を離して二度ばかり空《くう》を舐めて、その手で自分の顔の上に円を描いてみせた。
「あ、ははは、乞食」
子供はすぐに笑い出した。
「そうそう、乞食だ」
彼はまたしてもいくつも円を描いてようやく手を休めてみると、子供はにこにこ笑いながら、涙に濡れている眼で彼を見ている。何んと云う可愛らしい、天真な顔だろうと彼は思った。ちょうど五年ばかり前、この子の母親の脣《くちびる》がこんなに真紅《まっか》だったが、これはその縮少《しゅくしょう》だと思えばいいだろう。あの時は晴れ渡った冬の日で、彼女は、俺がどんな障害にも反抗し、彼女のためであったなら甘んじて犠牲になると云うのを聴いて、この通りに莞爾《にっこ》と笑いながら、涙で一杯になった眼で俺を見たのではなかったか。彼はぼんやりして、そこに坐ったまま、少しは醉《え》い心地になった。
「ああ、可愛い脣……」
と、彼は思いに耽っていた。
突然だった。カーテンが開かれて、薪が運ばれて来た。彼はハッとした
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