り、みるみるうちに初冬も近づいた。わたしは棉入《わたいれ》を著て丸一日火の側《そば》にいて、午後からたった一人の客ぐらいでは※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》がだらりとせざるを得ない。するとたちまちどこやらで
「一杯燗けてくれ」
 という声がした。よく聞き慣れた声だが眼の前には誰もいない。伸び上って見ると櫃台の下の閾《しきい》の上に孔乙己が坐っている。顔が瘠せて黒くなり何とも言われぬ見窄《みすぼ》らしい風体で、破れ袷一枚著て両膝を曲げ、腰にアンペラを敷いて、肩から縄で吊りかけてある。
「酒を一杯燗けてくれ」
 番頭さんも延び上って見て
「おお孔乙己か、お前にまだ十九銭貸しがあるよ」
 孔乙己はとても見惨《みじめ》な様子で仰向いて答えた。
「それはこの次ぎ返すから、今度だけは現金で、いい酒をくれ」
 番頭さんは例のひやかし口調で
「孔乙己、またやったな」
 今度は彼もいつもと違って余り弁解もせずにただ一|言《ごん》
「ひやかしちゃいけない」
 というのみであった。
「ひやかす? 物を盗らないで腿を折られる奴があるもんか」
 孔乙己は低い声で
「高い所から落ちたんだ。落ち
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