て売らなければ腐れるばかりです」
 彼はひたすら頭を振った。見ると顔の上にはたくさんの皺が刻まれているが、石像のようにまるきり動かない。たぶん苦しみを感ずるだけで表現することが出来ないのだろう。しばらく思案に沈んでいたが煙管を持出して煙草を吸った。
 母は彼の多忙を察してあしたすぐに引取らせることにした。まだ昼飯も食べていないので台所へ行って自分で飯を焚いておあがりと吩付《いいつ》けた。
 あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。子供は殖《ふ》えるし、飢饉年は続くし、税金は重なるし、土匪《どひ》や兵隊が乱暴するし、官吏や地主がのしかかって来るし、凡《すべ》ての苦しみは彼をして一つの木偶《でく》とならしめた。「要らないものは何でも彼にやるがいいよ。勝手に撰《よ》り取らせてもいい」と母は言った。
 午後、彼は入用の物を幾つか撰り出していた。長卓二台、椅子四脚、香炉と燭台一対ずつ、天秤《てんびん》一本。またここに溜っている藁灰も要るのだが、(わたしどもの村では飯を焚く時藁を燃料とするので、その灰は砂地の肥料に持って来いだ)わたしどもの出発|前《ぜん》に船を寄越して積取ってゆく。
 晩になってわたしどもはゆっくり話をしたが、格別必要な話でもなかった。そうして次の朝、彼は水生を連れて帰った。
 九日目にわたしどもの出発の日が来た。閏土は朝早くから出て来た。今度は水生の代りに五つになる女の児を連れて来て船の見張をさせた。その日は一日急がしく、もう彼と話をしている暇もない。来客もまた少からずあった。見送りに来た者、品物を持出しに来た者、見送りと持出しを兼ねて来た者などがゴタゴタして、日暮れになってわたしどもがようやく船に乗った時には、この老屋の中にあった大小の我楽多道具はキレイに一掃されて、塵ッ葉一つ残らずガラ空きになった。
 船はずんずん進んで行った。両岸の青山はたそがれの中に深黛色《しんたいしょく》の装いを凝らし、皆連れ立って船後の梢に向って退《しりぞ》く。
 わたしは船窓に凭《よ》って外のぼんやりした景色を眺めていると、たちまち宏兒が質問を発した。
「叔父さん、わたしどもはいつここへ帰って来るんでしょうね」
「帰る? ハハハ。お前は向うに行き著きもしないのにもう帰ることを考えているのか」
「あの水生がね、自分の家《うち》へ遊びに来てくれと言っているんですよ」
 宏兒は黒
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