に入ると鑰《かぎ》を掛け、まるで鶏鴨《とりがも》のように扱われているが、このことはどうしてもわたしの腑に落ちない。
 四五日前に狼村《おおかみむら》の小作人が不況を告げに来た。彼はわたしの大《おお》アニキと話をしていた。村に一人の大悪人《だいあくにん》があって寄ってたかって打殺《うちころ》してしまったが、中には彼の心臓をえぐり出し、油煎《あぶらい》りにして食べた者がある。そうすると肝が太くなるという話だ。わたしは一言《ひとこと》差出口《さしでぐち》をすると、小作人と大アニキはじろりとわたしを見た。その目付がきのう逢った人達の目付に寸分違いのないことを今知った。
 想い出してもぞっとする。彼等は人間を食い馴《な》れているのだからわたしを食わないとも限らない。
 見たまえ。……あの女がお前に咬みついてやると言ったのも、大勢の牙ムキ出しの青面《あおつら》の笑も、先日の小作人の話も、どれもこれも皆暗号だ。わたしは彼等の話の中から、そっくりそのままの毒を見出し、そっくりそのままの刀を見出す、彼等の牙は生白《なまじろ》く光って、これこそ本当に人食いの道具だ。
 どう考えても乃公は悪人ではないが、古
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