しい愧《は》ずべき者ではないか。おそらく虫ケラが猿に劣るよりももっと甚だしい。
 易牙《えきが》が彼の子供を蒸して桀紂《けっちゅう》に食わせたのはずっと昔のことで誰だってよくわからぬが、盤古が天地を開闢《かいびゃく》してから、ずっと易牙の時代まで子供を食い続け、易牙の子からずっと徐錫林《じょしゃくりん》まで、徐錫林から狼村で捉まった男までずっと食い続けて来たのかもしれない。去年も城内で犯人が殺されると、癆症《ろうしょう》病みの人が彼の血を饅頭に※[#「くさかんむり/(酉+隹)/れんが」、第3水準1−91−44]《ひた》して食った。
 あの人達がわたしを食おうとすれば、全くあなた一人では法返しがつくまい。しかし何も向うへ行って仲間入をしなければならぬということはあるまい。あの人達がわたしを食えばあなたもまた食われる。結局仲間同志の食い合いだ。けれどちょっと方針を変えてこの場ですぐに改めれば、人々は太平無事で、たとい今までの仕来《しきた》りがどうあろうとも、わたしどもは今日《こんにち》特別の改良をすることが出来る。なに、出来ないと被仰《おっしゃる》るのか。兄さん、あなたがやればきっと出来る
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