そ見えないが、耳は聾《つんぼ》ではない。
「北京には蛙の鳴声さえない……」
と、彼は嘆息した。この嘆息はわたしを勇猛ならしめ
「蛙の鳴声ならありますよ」
と、早速抗議を持出した。
「夏になって御覧なさい。大雨のあとで、あなたは蒼蝿《うるさ》いほど蝦蟇《がま》の叫びを聴き出すでしょう。あれは皆|溝《どぶ》の中に住んでいるのです。北京にはどこにも溝がありますからね」
「おお……」
幾日か過ぎると、わたしの話は明かに実証された。エロシンコ君はその時もう、いくつかのお玉杓子を買って来た。買って来ると彼は窓外《そうがい》の庭の中程にある小さな池の中に放した。その池は長さ三尺、濶《ひろ》さ二尺ぐらい、仲密君が蓮の花を植えるために掘ったもので、この池の中からかつて半朶《はんだ》の蓮の花を見出すことが出来なかったが、蝦蟇を飼うには実に持って来いの場所であった。お玉杓子は常に隊を組み群をなして水の中に游泳している。エロシンコ君は暇さえあると、彼等を訪問していたが、時に依ると子供等が
「エロシンコ先生、彼等に足が生えましたよ」と告げると、彼は非常に嬉しそうに
「おお……」
と、微笑むのであった。
それはそうと池沼を養成した音楽家エロシンコ君はたしかに一つの事業家であった。彼は本来みずから働いてみずから食うことを主張した。常に女は牧畜をなし男は田を耕すべしと主張して、たまたまごく親しい友達に逢うと彼は邸内に白菜の種を蒔けと勧めた。またしばしば仲密夫人に勧告して、蜂を飼え、鶏《とり》を飼え、牛を飼え、駱駝《らくだ》を飼えとさえいうのだ。あとで果して仲密君の屋敷内に群鶏が雑居して庭じゅうを飛び廻り、地面の上に敷かれた美しい錦の若葉を無残にも喙《ついば》み尽した。たいていこれはエロシンコ君の勧告の結果だろうと思われる。
それから田舎者はしょっちゅうやって来て、一遍に何羽となく買ってもらう。というのは鶏《にわとり》は食い過ぎたり発熱したりしやすく、なかなか長寿を得難いからだ。しかもその中の一羽は、エロシンコ君が北京滞在中作った唯一の小説、「小鶏の悲劇」の中の主人公とさえなった。ある日の午前、その田舎者は珍しくも小鴨をたくさん持って来てピヨピヨと鳴いている。仲密夫人は要らないと断ったが、エロシンコ君が出て来たので、彼等はエロシンコ君の両手の中に小鴨を一つ置くと、小鴨は両手の中でピヨピ
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