もちろんどうでもいいのだ。そのわけは? つまり趙太爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは殊の外彼を尊敬するようになったか? これは箆棒《べらぼう》な話だが、よく考えてみると、阿Qは趙太爺の本家だと言って打たれたのだから、ひょっとしてそれが本当だったら、彼を尊敬するのは至極穏当な話で、全くそれに越したことはない。でなければまた左《さ》のような意味があるかもしれない。聖廟《せいびょう》の中のお供物のように、阿Qは豬羊《ちょよう》と同様の畜生であるが、いったん聖人のお手がつくと、学者先生、なかなかそれを粗末にしない。
阿Qはそれからというものはずいぶん長いこと偉張《いば》っていた。
ある年の春であった。彼はほろ酔い機嫌で町なかを歩いていると、垣根の下の日当りに王※[#「髟/胡」、133−4]《ワンウー》がもろ肌ぬいで虱《しらみ》を取っているのを見た。たちまち感じて彼も身体がむず痒《がゆ》くなった。この王※[#「髟/胡」、133−5]は禿瘡《はげがさ》でもある上に、※[#「髟/胡」、133−6]《ひげ》をじじむさく伸ばしていた。阿Qは禿瘡《はげがさ》の一点は度外に置いているが、とにかく彼を非常に馬鹿にしていた。阿Qの考《かんがえ》では、外《ほか》に格別変ったところもないが、その顋《あご》に絡まる※[#「髟/胡」、133−7]《ひげ》は実にすこぶる珍妙なもので見られたざまじゃないと思った。そこで彼は側《そば》へ行って並んで坐った。これがもしほかの人なら阿Qはもちろん滅多に坐るはずはないが、王※[#「髟/胡」、133−9]の前では何の遠慮が要るものか、正直のところ阿Qが坐ったのは、つまり彼を持上げ奉ったのだ。
阿Qは破れ袷《あわせ》を脱ぎおろして一度引ッくらかえして調べてみた。洗ったばかりなんだがやはりぞんざいなのかもしれない。長いことかかって三つ四つ捉《とら》まえた。彼は王※[#「髟/胡」、133−12]を見ると、一つまた一つ、二つ三つと口の中に抛《ほう》り込んでピチピチパチパチと噛み潰した。
阿Qは最初失望してあとでは不平を起した。王※[#「髟/胡」、133−14]なんて取るに足らねえ奴でも、あんなにどっさり持っていやがる。乃公を見ろ、あるかねえか解りゃしねえ。こりゃどうも大《おおい》に面目のねえこった。彼はぜひとも大きな奴を捫《ひね》り出そうと思ってあちこち捜した。しばらく経ってやっと一つ捉《とら》まえたのは中くらいの奴で、彼は恨めしそうに厚い脣の中に押込みヤケに噛み潰すと、パチリと音がしたが王※[#「髟/胡」、134−4]の響《ひびき》には及ばなかった。
彼は禿瘡の一つ一つを皆赤くして著物を地上に突放し、ペッと唾を吐いた。
「この毛虫め」
「やい、瘡《かさ》ッかき。てめえは誰の悪口を言うのだ」王※[#「髟/胡」、134−7]は眼を挙げてさげすみながら言った。
阿Qは近頃割合に人の尊敬を受け、自分もいささか高慢稚気《こうまんちき》になっているが、いつもやり合う人達の面を見ると、やはり心が怯《おく》れてしまう。ところが今度に限って非常な勢《いきおい》だ。何だ、こんな※[#「髟/胡」、134−9]《ひげ》だらけの代物が生意気|言《い》やがるとばかりで
「誰のこったか、おらあ知らねえ」阿Qは立ち上って、両手を腰の間に支えた。
「この野郎、骨が痒くなったな」王※[#「髟/胡」、134−12]も立ち上がって著物を著た。
相手が逃げ出すかと思ったら、掴み掛《かか》って来たので、阿Qは拳骨を固めて一突き呉《く》れた。その拳骨がまだ向うの身体《からだ》に届かぬうちに、腕を抑えられ、阿Qはよろよろと腰を浮かした。※[#「てへん+丑」、第4水準2−12−93]《ね》じつけられた辮子は墻《まがき》の方へと引張られて行って、いつもの通りそこで鉢合せが始まるのだ。
「君子は口を動かして手を動かさず」と阿Qは首を歪めながら言った。
王※[#「髟/胡」、135−3]は君子でないと見え、遠慮会釈もなく彼の頭を五つほど壁にぶっつけて力任せに突放《つっぱな》すと、阿Qはふらふらと六尺余り遠ざかった。そこで※[#「髟/胡」、135−4]《ひげ》は大《おおい》に満足して立去った。
阿Qの記憶ではおおかたこれは生れて初めての屈辱といってもいい、王※[#「髟/胡」、135−5]は顋《あご》に絡まる※[#「髟/胡」、135−5]《ひげ》の欠点で前から阿Qに侮られていたが、阿Qを侮ったことは無かった。むろん手出しなど出来るはずの者ではなかったが、ところが現在遂に手出しをしたから妙だ。まさか世間の噂のように皇帝が登用《とうよう》試験をやめて秀才も挙人《きょじん》も不用になり、それで趙家の威風が減じ、それで彼等も阿Qに対して見下すようになっ
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