何だと思っていやがるんだえ」
阿Qはこういう種々の妙法を以て怨敵を退散せしめたあとでは、いっそ愉快になって酒屋に馳けつけ、何杯か酒を飲むうちに、また別の人と一通り冗談を言って一通り喧嘩をして、また勝ち慢《ほこ》って愉快になって、土穀祠《おいなりさま》に帰り、頭を横にするが早いか、ぐうぐう睡《ねむ》ってしまうのである。
もしお金があれば彼は博奕《ばくち》を打ちに行《ゆ》く。一かたまりの人が地面にしゃがんでいる。阿Qはその中に割込んで一番威勢のいい声を出している。
「青竜四百《ちんろんすーぱ》!」
「よし……あける……ぞ」
堂元は蓋を取って顔じゅう汗だらけになって唱《うた》い始める。
「天門《てんもん》当《あた》り――隅返《すみがえ》し、人と、中張《なかばり》張手《はりて》無し――阿Qの銭《ぜに》はお取上げ――」
「中張百文《なかばりひゃくもん》――よし百五十|文《もん》張ったぞ」
阿Qの銭はこのような吟詠のもとに、だんだん顔じゅう汗だらけの人の腰の辺に行ってしまう。彼は遂にやむをえず、かたまりの外《そと》へ出て、後ろの方に立って人の事で心配しているうちに、博奕《ばくち》はずんずん進行してお終《しま》いになる。それから彼は未練らしく土穀祠《おいなりさま》に帰り、翌日は眼のふちを腫らしながら仕事に出る。
けれど「塞翁《さいおう》が馬を無くしても、災難と極《き》まったものではない」。阿Qは不幸にして一度勝ったが、かえってそれがためにほとんど大きな失敗をした。
それは未荘の祭の晩だった。その晩例に依って芝居があった。例に依ってたくさんの博奕場《ばくちば》が舞台の左側に出た。囃《はやし》の声などは阿Qの耳から十里の外へ去っていた。彼はただ堂元の歌の節だけ聴いていた。彼は勝った。また勝った。銅貨は小銀貨となり、小銀貨は大洋《だーやん》になり、大洋《だーやん》は遂に積みかさなった。彼は素敵な勢いで「天門両塊《てんもんりゃんかい》」と叫んだ。
誰と誰が何で喧嘩を始めたんだか、サッパリ解らなかった。怒鳴るやら殴るやら、バタバタ馳け出す音などがしてしばらくの間眼が眩んでしまった。彼が起き上った時には博奕場も無ければ人も無かった。身中《みうち》にかなりの痛みを覚えて幾つも拳骨を食《く》い、幾つも蹶飛《けと》ばされたようであった。彼はぼんやりしながら歩き出して土穀祠《おいなりさま》に入った。気がついてみると、あれほどあった彼のお金は一枚も無かった。博奕場にいた者はたいていこの村の者では無かった。どこへ行って訊き出すにも訊き出しようがなかった。
まっ白なピカピカした銀貨! しかもそれが彼の物なんだが今は無い。子供に盗《と》られたことにしておけばいいが、それじゃどうも気が済まない。自分を虫ケラ同様に思えばいいが、それじゃどうも気が済まない。彼は今度こそいささか失敗の苦痛を感じた。けれど彼は失敗を転じて遂に勝ちとした。彼は右手を挙げて自分の面《おもて》を力任せに引ッぱたいた。すると顔がカッとして火照《ほて》り出しかなりの痛みを感じたが、心はかえって落ち著《つ》いて来た。打ったのはまさに自分に違いないが、打たれたのはもう一人の自分のようでもあった。そうこうするうちに自分が人を打ってるような気持になった。――やっぱり幾らか火照《ほて》るには違いないが――心は十分満足して勝ち慢《ほこ》って横になった。
彼は睡ってしまった。
第三章 続優勝記略
それはそうと、阿Qはいつも勝っていたが、名前が売れ出したのは、趙太爺の御ちょうちゃくを受けてからのことだ。
彼は二百文の酒手《さかて》を村役人に渡してしまうと、ぷんぷん腹を立てて寝転んだ。あとで思いついた。
「今の世界は話にならん。倅が親爺を打つ……」
そこでふと趙太爺の威風を想い出し、それが現在自分の倅だと思うと我れながら嬉しくなった。彼が急に起き上って「若|寡婦《ごけ》の墓参り」という歌を唱《うた》いながら酒屋へ行った。この時こそ彼は趙太爺よりも一段うわ手の人物に成り済ましていたのだ。
変槓《へんてこ》なこったがそれからというものは、果してみんなが殊《こと》の外《ほか》彼を尊敬するようになった。これは阿Qとしては自分が趙太爺の父親になりすましているのだから当然のことであるが、本当の処《ところ》はそうでなかった。未荘の仕来《しきた》りでは、阿七《あしち》が阿八《はち》を打つような事があっても、あるいは李四《りし》が張三《ちょうさん》を打っても、そんなことは元より問題にならない。ぜひともある名の知れた人、たとえば趙太爺のような人と交渉があってこそ、初めて彼等の口に端《は》に掛るのだ。一遍口の端に掛れば、打っても評判になるし、打たれてもそのお蔭様で評判になるのだ。阿Qの思い違いなど
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