人也」といえば済む。しかし惜しいかな、その姓がはなはだ信用が出来ないので、したがって原籍も決定することが出来ない。彼は未荘《みそう》に住んだことが多いがときどき他処《たしょ》へ住むこともある。もしこれを「未荘の人也」といえばやはり史伝の法則に乖《そむ》く。
 わたしが幾分自分で慰められることは、たった一つの阿の字が非常に正確であった。こればかりはこじつけやかこつけではない。誰が見てもかなり正しいものである。その他のことになると学問の低いわたしには何もかも突き止めることが出来ない。ただ一つの希望は「歴史癖と考証|好《ずき》」で有名な胡適之《こてきし》先生の門人|等《ら》が、ひょっとすると将来幾多の新|端緒《たんしょ》を尋ね出すかもしれない。しかしその時にはもう阿Q正伝は消滅しているかもしれない。

        第二章 優勝記略

 阿Qは姓名も原籍も少々あいまいであった。のみならず彼の前半生の「行状」もまたあいまいであった。それというのも未荘の人達はただ阿Qをコキ使い、ただ彼をおもちゃにして、もとより彼の「行状」などに興味を持つ者がない。そして阿Q自身も身の上話などしたことはない。ときたま人と喧嘩をした時、何かのはずみに目を瞠《みは》って
「乃公達だって以前は――てめえよりゃよッぽど豪勢なもんだぞ。人をなんだと思っていやがるんだえ」というくらいが勢一杯《せいいっぱい》だ。
 阿Qは家が無い。未荘の土穀祠《おいなりさま》の中に住んでいて一定の職業もないが、人に頼まれると日傭取《ひようとり》になって、麦をひけと言われれば麦をひき、米を搗《つ》けと言われれば米を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ。仕事が余る時には、臨時に主人の家に寝泊りして、済んでしまえばすぐに出て行《ゆ》く。だから人は忙《せわ》しない時には阿Qを想い出すが、それも仕事のことであって「行状」のことでは決して無い。いったん暇になれば阿Qも糸瓜《へちま》もないのだから、彼の行状のことなどなおさら言い出す者がない。しかし一度こんなことがあった。あるお爺さんが阿Qをもちゃげて「お前は何をさせてもソツが無いね」と言った。この時、阿Qは臂《ひじ》を丸出しにして(支那チョッキをじかに一枚著ている)無性《ぶしょう》臭い見すぼらしい風体で、お爺さんの前に立っていた。はたの者はこの話を本気にせず、やっぱりひやかしだと思って
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