目に合いましたが、でもそれによって、自然彼との戦の作戦に経験を積んだのです。そこで本件についても、事件を聞くとすぐ思いついたのは、ルパンという奴は、こうすればどうなるという結果を考えないでは、何事もやった事はありません。だから、あの壁布が盗まれれば当然の結果としてスパルミエント氏が自殺するくらいのことを考えないことはありません。しかるに元々彼は人を殺すことは断じてしません。血を見ることをはなはだしく嫌っている彼が、自殺をすることを予期しつつ壁布を盗んだことが第一の疑問です。』
『しかし五六十万フランもする‥‥』
『錦の壁布には代えられないと云われますか?』
『そうだ。』
『いいえ、課長! ルパンはいかなることがあろうとも、物質のために人命を奪うようなことは致しません。もちろん自ら手を下さないばかりでなく、すべての死の原因となることを避けるのは彼の持前です。』
『すると?』
『あの前夜の招待会で、電燈を消したり、電鈴を鳴らしたりしたのは何のためでしょう。これが第二の疑問です。私はこの一行動を以て、恐怖不安、怪異の心を起させ、本件に対して人の嫌疑をくらまそうとする真犯人の策略だと思いますが、いかがでしょう?』
『さア!』
『もっとも、分明《ふんみょう》したことではありませ[#「せ」は底本では欠落]ん。私自身も本問題は考えれば考えるほど、いよいよ合点が行かなくなってしまいます。ただここに一道の光明は‥‥』
『共犯者か?』
『そうです!』
『来客中に紛れ入って、電鈴を鳴らし、散会後邸内に隠れて‥‥』
『そこです、そこです。邸内へ不意に忍び入った者にはどうしても壁布を盗むことは出来ません。誰か邸内にいて盗み出したものに相違ないのです。そこで来客名簿を調査しなければなりません。』
『うむ。』
『それよりもまず出入の人数を調べねばなりません。客が来た時にも帰る時にも探偵三人で名前を控えていました。ところが六十三人来て六十三人帰りました。』
『すると? 邸内の者が?』
『そうです。』
『召使か?』
『いいえ。』
『探偵か?』
『いいえ。』
『じゃア‥‥』
『‥‥‥‥』
『内部から本件が行われたとすれば?‥‥』
課長はあせり立った。
『相違ありません!』
ガニマール刑事は断然として言明した。彼の舌端には火がほとばしるほどの熱が籠っていた。彼は少しも疑惑せず、固い自信を以て更に説き出した。
『全力を上げて研究しました。色々の方法も皆同じ結果に集って来ました。それは私の確信を与えたものです。それは真に驚くべき理知的な方則《ほうそく》です。』
『ふむ!』
『理論から云っても、実際から云っても、この窃盗は邸内に住んでいる共犯者の手を借りなければ行うことは出来ません。しかるに、その共犯者が無いのです。』
『変だね、どうして共犯者が無い?』
『実に変です。しかし、もう一歩進めて考えると同時に、それは恐ろしい真理にぶつかります。』
『えッ?』
『実に捕え所のないほどの真理です。しかし十分の根拠があるんです。課長! お解りになりませんか?』
ジュズイ氏はしばらく沈黙した。そして課長にも主任刑事の胸中と同様の思索が波打って起った。
『来客でもなく、召使でもなく、探偵達でもないとすると?』
『まだ、残っている人がありますよ。』
ジュズイ氏は愕然として身を震わせた。
六[#「六」は底本では「七」]
『だって君、そんな事があるはずはない。』
『なぜです?』
『まア、考えてみたまえ。』
『はい。』
『そんな、そんな馬鹿な事が‥‥』
『どうしてです?』
『考えられもせんじゃないか。そんな馬鹿々々しい。スパルミエントがルパンの共犯者だなんて!』
ガニマールはニヤリと笑った。
『御もっともです。しかしお考え下さい。大佐がルパンの共犯者とすると、すべての問題を解くことが出来るんです。夜中に三人の探偵が階下で見張っている間に、いや、むしろ、大佐から強いシャンペンの御馳走になって、前後も知らず眠っている間に、大佐は壁布をはずし室の窓から外へ出しました。その方面の階下の室の窓は、全部塗りつぶされてあり[#「り」は底本では欠落]ますから見張っていない街の方の窓の方からです‥‥』
課長は笑い出した。
『駄目々々。』
『なぜです?』
『なぜと云って、大佐がルパンの共犯者とすると、仕事のすんだ後殺されるわけはないじゃないか。』
『どうして大佐が殺されたというんです?』
『現在、死体が出たじゃないか。』
『ルパンは決して人を殺しません。』
『だって、事実は仕方がない。しかもスパルミエント夫人が死体を承認したじゃないか。』
『そのお言葉を待っていました。実は私もここで大いに頭を悩したんです。突然二人が三人になったのですから‥‥。第一がアルセーヌ・ルパン、第二が共犯者スパルミエント大佐、第三が死体。』
ガニマール刑事は、こう言いながら、ポケットの中から一枚の新聞を取り出して課長に示した。
『こないだ、あなたがお出でになった時、私は新聞を調べていました。あの時には、今度の事件と何か関係のある記事はなかろうかと思って多くの新聞を探していたのです。ところが、私の予想を満足させる一記事がありました。これを御覧下さい。』
その新聞にはどんな記事があるのであろう。
(昨夜リイユ屍体陳列所で、屍体が一つ盗まれた。この屍体は前日郵便鉄道で轢死したもので、身元不明の青年であった云々‥‥屍体陳列所では大問題とされている。)
ジュズイ氏はだまって考えていた。
『君は、これを関係があると思うか?』
『リイユへ行って実否をただしましたが、この記事に少しも間違はありません。その屍体は、スパルミエント大佐が招待会を催した夜盗み出されたもので、一輌の自動車に積まれすぐヴィルダブレ[#「レ」は底本では欠落]イへ運び、その自動車は鉄道沿線に日暮れまでいたそうです。』
『トンネルのあたりなんだね。』
『そうです。』
『すると、そこでスパル[#「ル」は底本では欠落]ミエント大佐の衣裳をつけて轢かれていた屍体は、その屍体と同一なものだというのだね。』
『そうです。』
『しかし、そうなると、この事件の意味はどうなるのだろう。最初壁布を一枚盗み、次にそれを取戻し、今度は十二枚全体盗んだ。一体どうしたというのだろう。あの招待会、あの騒動‥‥どうも解らないなア。』
『全く奇怪です。課長、もっと話を進めねばなりません。ルパンとスパルミエント大佐との関係です。これは素晴らしい厳密な理知に発足しておりますよ。』
『ふむ。』
『共犯者などを考えることが間違なんです。そんな者は無用です。自分一箇で、ただ一人で計画しかつ実行したものです。』
『どうして? わからないね。』
ジュズイ氏はガニマール刑事の言葉ごとに呆れ入るばかりであった。刑事はにこりと微笑をもらして、
『驚かれたでしょう。課長! あなたがここへ私を見に来られた時、ふとこの考えが湧きました。全く驚き入りました。あいつの手練には馴れていますから、大抵の事は心得ているつもりですが、今度という今度はさすがに面喰いましたよ。』
『冗談じゃない!』
『どうしてです。』
『そんな事があるものか。』
『あるんです。しかもまことに当然なことです。一人で三役勤めているんです。子供にだってこんな問題はわかりますよ。まず屍体はウソだから取除けますよ。』
『ふん!』
『あとにはスパルミエント大佐と、ルパンとの二人が残るでしょう。』
『ふん!』
『それから、他から入っていないし、内の者にも他にはないのですから、スパルミエント大佐こそは‥‥』
『ルパンか?』
『そうです。課長! ブレジリヤの富豪という化の皮を被って、彼奴《きゃつ》は六ヶ月前にスパルミエント大佐と称し、英国を旅行している中あの綴れ錦の壁布の発見されたことを聞いてそれを買い込むと、その中一等良いのを盗まれたと言ってルパンに世人の注意を向け、ルパン対スパルミエントの大芝居で世間の人気を集め、招待会で来客を驚かし、すっかり膳立が出来ると、献立通りの御馳走を頂戴したのです。大佐は死んでしまった。友達からは惜しまれ、世間からは気の毒がられ、そして本体の最終目的たる多大の利益を握るために‥‥』と言いかけて、刑事は課長の顔色をうかがいながら、
『愛妻を残しておいたのです。』
『エジス夫人だね。』
『そうです。』
『君は本当にそう思うか?』
『思いますとも。目的もないのに、こんな芝居をやるものですか。それは莫大な利益!』
『だって、利益と云った所で、ルパンが壁布‥‥を亜米利加《アメリカ》とかへ売るというだけのものだろう。それなら‥‥』
『それなら、スパルミエント大佐にだって売れます。こんな芝居をやるがものはありません。』
『じゃア。』
『外にもっと金の這入ることがあるんです。』
『金が這入るというと?』
『そら、課長! スパルミエント大佐は初め一枚盗られた時、大損害だと言って騒いだでしょう。そして今度大佐は死んでも、後に妻君が残っているでしょう。そらその妻君の手に入るじゃありませんか?』
『入るって? 何が!』
『何がって? そら、保険金が!』
聞くと同時に、ジュズイ氏はあまりの驚きにウウとうなった。初めて事件の真相が彼の面前に展開されたのである。
七
『や、なるほど、そうだそうだ、大佐は壁布を保険に掛けたな。』
『しかも、少々ではありません。』
『いくらだ?』
『八十万フラン。』
『八十万フラン!』
『そうです、五つの会社へ‥‥』
『夫人はもうそれを請取ってしまったか?』
『昨日十五万フラン、今日は私の居ない間に二十万フラン。あとは今週中に請取ることになっています。』
『驚いたなア。』
『私のいない時に勘定をしていますが、折よく帰り道で、私の知っている保険会社の社員に会ったのですっかり話を聞きました。』
しばし唖然としていた課長は、思わず太息を吐いて、
『実に恐ろしい奴だなア。』
『全くです。ずいぶん巧妙に出来ているではありませんか。四五週間も、誰一人スパルミエント大佐を怪しむものは無いのですから。いかに巧妙な奸策《かんさく》であるかがわかります。驚くの外ありません。世間の疑問、憤怒、探索をルパン一人に背負わせているんです。そして一方あの伝説の中から出て来たようなエジス夫人が泣きの涙でうまく勤めているのですから保険会社などは、てんで損害などは眼中になく、少しでも夫人を慰め得れば満足だとするくらいですから‥‥彼奴の計画は首尾よく運んだものです。』
二人に互に顔を見合せて呆れ返った。
やがて課長は口を開いた。
『その夫人は一体何者だ。』
『ソーニャ・クリシュノフ。』
『うむ!』
『あなたが去年逮捕したことのある‥‥』
『露西亜《ロシア》女か! 王冠事件の時、ルパンが逃がしてやった。』
『そうです。』
『うむ、僕も世間並みにルパンの計略にかかってすっかりあの女に気が付かなかったよ。なるほど、こう話が決ってみると思い出すことがある。ソーニャのの奴確かに英国女に化けているのだ。あいつと来た日にゃ、ルパンの事なら、死ねと云えば死ぬくらいに惚れ込んでいるんだからなア。いや、よくやってくれた。感謝する! さすがはガニマール君だ。』課長は固く主任刑事の手を握って賞讃した。
『お褒めに預って恐縮します。まだ拾い物があるんですよ。』
『何だ?』
『例のルパンの乳母‥‥』
『ビクトアル?』
『はい、その婆さんも今スパルミエント夫人のソーニャ・クリシュノフについてこの家に来ていますよ。』
『そのまま?』
『いや、料理人に化けて‥‥』
『そいつは有難い!』
『まだありますよ、課長!』
ジ[#「ジ」は底本では「シ」]ュズイ氏はいきなり刑事の腕を両手で握って躍り上った。ガニマール刑事の手も震えていた。
『まだある? 何が?』
『何がって、今頃何のためにあなたに御足労を掛けたと思われます。ソーニャやビクトアルの如き小魚なら、何もあなたのお手を煩わしはしません。あんな者ならいつだって縄をかけられます。』
『すると?
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