両人の眼はらんらんと光った。
『わかりませんか?』
『奴が?』
『いますよ。』
『いる?』
『いるのです。』
『隠れて?』
『どうして、ずうずうしく召使に化けて‥‥』
 さすがの課長も、ルパンの飽くまでも大胆なのに茫然として自失せんばかりであった。
 ガニマール氏はほくそ笑みつつ、
『ソーニャがもしヘマをやるかと心配して、第四の役を背負って戻って来たものです。保険金を請取らぬ中《うち》しっぽを見せては折角の苦心も水の泡なので、自分がいて裁配《さいはい》を振らねば心許なかったのでしょう。三週間前から、私の行動を蔭にいて窺っているのです。』
『どうして見極めをつけた?』
『もちろん顔では分りません。彼奴は独特の変装術を心得ていますから、とても見分は付きません。私もまさか召使に化けて入っていようとは思いませんでした。ところが今晩、ソーニャと乳母のビクトアルが、階段の蔭の真暗な所で立話をしているのを盗み聞きますと、乳母が召使を呼ぶに『坊ちゃん坊ちゃん』と言ってるじゃありませんか。その坊ちゃんでようやくハッと気付いたのです。ビクトアルは今でも奴の事を子供のように思って、いつでもこう呼んでいるのです。私は決心しました。』
 何遍追跡しても、かつて手を触れる事の出来なかった強敵が、今現にこの家に潜んでいることを思うと、捜索課長もあわてだした。
『今度こそ逃がさぬぞ! 逃げようたって逃がすものか!』
『そうですとも、女共も一網《いちもう》に!』
『どこにいる?』
『ソーニャとビクトアルは三階に!』
『ルパンは?』
『四階に!』
 ジュズイ氏はふと不安を感じた。
『やア、壁布の紛失した時も、その部室《へや》の窓から落としたじゃないか。』
『そうです。』
『すると、今度もそこから逃げ出すかもしれないよ。その窓はジュフレノアイ街に向いていたから。』
『ええ、だから、その用意はしてあります。お連れになった。部下を四人、すぐその窓下に伏せておきました。窓を逃出そうとする者があったら、容赦なく射《う》ってしまえ。だが、最初は空砲、二度目には実弾を射てと命じてあります。』
『よし、万事抜かりはないな。』
『はい。』
『じゃ夜明に‥‥』
『いや、彼奴に限って油断はなりませんよ。規則だの形式だのと、つまらぬ事にこだわって、そのうちに感付かれでもすると、また馬鹿を見ねばなりません。奴の手品は大変ですよ。ぐずぐずしてはいられません。今すぐ踏み込んで不意を襲いましょう!』
 奮然と立ち上ったガニマール刑事は、意気込すさまじく門外に出て六人の部下を引き入れた。
『よし! 課長! 用意は出来ました。ジュフレノアイ街にはピストルを上げて、すわと云えば一斎射撃、窓々をねらっています。さア、やっつけましょう。』
 人の出入に、少しはざわ付いたけれど、家人の耳にはよもや入るまい。ジュズイ氏は正式の逮捕手続をしていないのを不本意に思ったけれども、事は急だ。千載一遇、この機を逸していつまたルパンを捕え得ようぞ。決然として振い起った。
『よし! やっつけろ!』

          八

 手に手にピストルを握って、ひたすらルパンを捕えることに心奪われつつ、足早に階段を上った。
 ガニマール刑事はもちろんよく勝手を知っていた。スパルミエント夫人の部屋に来ると、扉にのしかかって、叫んだ。
『開けろ!』
 一人の警官は、つと進んで、肩で一突、難なく扉は押破られた。
 が、中には誰もいない。
 隣のビクトアルの部屋へ行った。
 同じく藻抜《もぬけ》のからだ。
『上にいるんだ。ルパンの部屋に‥‥油断するな!』ガニマールは一同に注意した。
 八人一時に四階に馳《か》け上った。しかし、ルパンの部屋は開け放されて、同じく人影もなかった。
 ガニマール刑事は血眼になって馳け廻ったが、どの部屋にも、誰もいなかった。
『畜生! 畜生! どうしやがった?』
 すると、三階へ下りたジュズ[#「ズ」は底本では欠落]イ氏が、ガニマール刑事を呼んだ。三階の窓の扉が一枚締めてはあったが、ちょっと押せば開いたからである。
『そら、ここから逃げたのだ。これが壁布を持ち出した所じゃないか。僕があれほど言ったのに‥‥ジュフレノアイ街の方だ‥‥』
 ガニマール刑事は怒りの歯噛み荒々しく、
『それなら、なぜ射ち留めないだろう? 伏せてある部下が?』
『まだ張込んでない前に、風を喰って逃げ出したのだろう。』
『でも、あなたの所へ電話をかけた時には、三人共ちゃんと部屋にいたんですが。』
『君が庭の蔭で、僕等を待っていた時に飛び出したのだろう。』
『それにしてもなぜ逃げたでしょう?』
『うん、保険金を握らぬ中《うち》に‥‥』
『今夜急に行ってしまうわけは無[#「無」は底本では「無な」]い。』
『どうも不思議だ。』

 いや、実は、不思議でも何でもない。それには明白な理由があった、テーブルの上にはちゃんとガニマール殿という一通の手紙が置かれてあった。それはまさしくルパンの置手紙である。中にはすべての事情こまごまと、しかもそれは、あたかも主人が召使に与える説明書のようなものであった。
 その文章に曰く
 アルセーヌ・ルパン、紳士強盗、予備陸軍大佐スパルミエント、同下男及び前屍体陳列所紛失屍体たる余は、ガニマールと称する者の当邸における勤務ぶりを見て、すこぶる小才あり、かつ頓智ある者なりと考ふ。依ってこれを証明す。全力をあげて職務に勉励し、何等《なんら》の根拠なきによく余の計画を看破し、保険会社をして四十五万フランの損害を妨《ふせ》ぎ得たり。ただし、階下の電話はソーニャ・クリシュノフの部屋に装置されある電話と相通ぜることを知らず、捜索課長へ通報すると同時に、余に一早く事情を報告したる功により、莫大なる保険金の損害を容赦し、かつその機敏なる智能を賞するものなり。もしそれ電話装置を看破し能はざりし如きは大功中の小過、毫《ごう》もその勝利の価を減ずべきものにあらず。ここに感嘆と尊敬との意を表す。以上。
[#地から4字上げ]アルセーヌ・ルパン



底本:「【婦人パンフレツト第八輯】アルセーヌ・ルパン」婦人文化研究會
   1922(大正11)年12月15日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「恰も→あたかも 貴方→あなた 如何→いかが・いかん 幾何→いくら 些か→いささか 何時→いつ 愈々→いよいよ 且→かつ 曽て・嘗て・甞て→かつて かも知れ→かもしれ 位→くらい 呉れ→くれ 此処・茲→ここ 毎→ごと 此・之→これ 流石→さすが 左程→さほど 而も→しかも 然るに→しかるに 暫く→しばらく 随分→ずいぶん 頗る→すこぶる 直ぐ→すぐ 其処→そこ その中→そのうち 沢山→たくさん 唯→ただ 但し→ただし 給え→たまえ 為→ため 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと て居→てお て了→てしま て見→てみ て貰→てもら 何うして→どうして 何処→どこ 所が→ところが 尚→なお 仲々→なかなか 何故→なぜ 計り・許り→ばかり 筈→はず 甚だ→はなはだ 一先ず→ひとまず 程→ほど 殆ど・殆んど→ほとんど 正しく→まさしく 先ず→まず 亦・又→また 迄→まで 儘→まま 間もなく→まもなく 寧ろ→むしろ 若し→もし 勿論→もちろん 尤も→もっとも 漸く→ようやく 僅か→わずか」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本内には「燈」と「灯」が混在していますが、そのままにしました。
※読みにくい漢字には適宜、底本にはないルビを付した。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(山本貴之)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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