した。
『ああ、嫌な夢を見た』とルパンは一晩中魘されて、全身に汗をビッショリ掻きながら目が覚めた。『ああ嫌だ嫌だ。何んだか御幣が担ぎたくなる。気の小さな奴だったら、とても堪《たま》らないね。……だが、まあいいや、ジルベールだって、ボーシュレーだってこのルパンが手を貸せば、どうにでもなるんだ。どりゃ縁起直しに例の水晶の栓でも調べてみよう』
彼はムックリ起き上って暖炉《ストーブ》の上へ手をかけた。と同時に呀《あ》ッ! と叫んだ。不思議、水晶の栓は跡形もなく消えて無くなった。
[#8字下げ][#中見出し]※[#始め二重括弧、1−2−54]二※[#終わり二重括弧、1−2−55]九から八引く[#中見出し終わり]
昨夜《ゆうべ》の品物紛失事件で彼自身が被害者の立場になったこの窃盗は、妙にルパンの心持を苛々させた。今彼の心中には二ツの問題が浮んだが、いずれも難解のものであった。第一に忍び入った神秘の曲者は何者であるか? マチニョン街の隠家《かくれが》を知っておるものは、彼のために特殊の秘書を勤めていたジルベールの外《ほか》には無いはずだ。しかるにジルベールは現在獄裡に繋がれておる。万一ジルベールが彼にそむいて、警官をその隠家へ送ったと想像するか? しからばなぜ当のルパンを捕縛せずに、水晶の栓ばかりを奪い去ったか。
しかしそれよりなおいっそう奇怪な問題がある。よしんば寝室の扉《ドア》を開けたとしても――扉《ドア》を開けたことを認めねばならないが、しかも扉《ドア》には何等これを立証すべき形跡がない。しからばいかなる方法をもって寝室内へ忍び込む事が出来ただろうか? 毎夜、彼は扉《ドア》に鍵をかけて錠を下す事が永年《ながねん》の習慣になって一夜でも忘れた事が無い。しかるに、鍵にも場にも何等手を触れた形跡が無いにもかかわらず、水晶の栓は確かに紛失しておるではないか。のみならずいかに熟睡していても暗中針の倒れる音にも目を覚ますルパンが、昨夜ばかりはカタと云う音すら聞かなかったのだ!
彼はこんな謎は事件の推移に従って自然と苦もなく明瞭になって来ると高を括って深くも頭を悩まそうとしなかった。しかし考えるといまいましくもあれば、また不安でもあるので、直ちにマチニョン街の隠家《かくれが》を畳んでしまって、こんな縁喜でもない所へまたと足をふみ入れまいと決心した。
彼は差し当っていかにしてジルベールとボーシュレーの二人と通信せんかと苦心した。警察当局でもルパンの関係している以上、事重大と思惟しセーヌ・エ・オワーズ県地方裁判所の所管から事件一切を巴里《パリー》裁判所へ移し、ルパンに関する一般的証拠の蒐集に取りかかった。随《したが》ってボーシュレーもジルベールもサンテ監獄に収監されることとなった。サンテ監獄にあっては特に警視総監の注意によって囚人とルパンとの間に何等かの方法で通信の行われる事を恐れて、最新かつ厳重な警戒をする事にした。ジルベールとボーシュレーとの身辺には昼夜の別なく巡査と看守とが厳戒して一分時でも目を放たなかった。
当時ルパンは、まだ刑事課長の椅子を占めていなかった(「813」及「黒衣の女」参照)ので、随って裁判所内に適宜の計画を実行する力もなく、二週間ばかりの苦心もことごとく水泡に帰してしまった。彼の心は憤怒に燃え、不安に襲われて来た。「事件の最も困難とする所は終局にあらずして、出発である」とは彼がしばしば云う言葉であった。『だとすると、どこから手を付けたらよかろうか。果していかなる道をとって進もうか?』
ルパンの考えはドーブレク代議士へ向けられて行った。硝子の栓はもともとドーブレクの所有であった。すれば彼がその値打を知らぬはずが無い。ところでまたジルベールがどうしてドーブレクの日常生活を知悉《ちしつ》していたか? いかなる方法を用いて捜索したか? あの晩、ドーブレクが出かけた場所をどうして知ったか? 解決すべき興味ある問題がこの方面にたくさんある。
メリー・テレーズ別荘盗難以来、ドーブレクは巴里《パリー》の本邸に帰った。それはラマルチン公園の左手《ゆんで》にあって、ビクトル・ユウゴオ街に面した家である。
ルパンは早速隠居風に変装して、杖をつきつきブラブラと散歩する風を装い、ユウゴオ街に面した公園のベンチに腰をかけて、それとなく邸《やしき》の様子を窺《うかが》った。ところがまず最初の日に面白い事実を発見した。確かにその筋の人間と覚《おぼ》しき労働者風の二人の男がドーブレクの邸を見張っていた。ドーブレクが外出するとその二人の男は彼に尾行し、彼が帰るとその後《うしろ》から影の様について来た。夕方、灯火《ともしび》の点く頃になると二人の男が帰って行った。今度はルパンの方で二人の男に尾行した。彼等は警視庁の刑事であった。
しかし第四日
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