。しかしドーブレクは死に※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]《もが》きつつ苦しい息の下から『マリー……マリー……』と云う細い声を漏すばかり。でもルパンは遂にその夜深更に至ってドーブレクを救出すことに成功した。
 しかし彼がドーブレクを抱える様にして断崖の上に出で、まさに二十丈の縄にすがって降りようとした刹那、突如ルパンは肩に激痛を覚え、頭がグラグラとした思うとそのまま岩の上に打倒れた。
『アッ、畜生ッ!』
『大馬鹿野郎の頓馬野郎。天晴ルパンの細工がこれか』とドーブレクはセセラ笑った。その片手には短剣が光っていた。『やい俺はな、貴様達の様な浅薄な連中の手に負える悪党じゃねえんだ。……おいルパン。このピストルは俺が貰って行く。じゃ一足お先きへ、さようなら……』
 代議士は悠々と降りて行く。ルパンは満身の力を絞って叫ぼうとしたが声が出ない。
『クラリス……クラリス……ジルベール……』と云うも口の中。そのまま意識は朦朧となって行く。……しばらくすると下の方で卒然起る人の叫び。銃の音。ルパンは鮮血に塗れて断岩《だんがい》の中腹に横たわりつつ、ただ死を待つのみであった……。
 彼が意識を回復した時には、彼はアミアンのあるホテルの一室に横わっていた。

『いや全く驚きましたよ。首領の仆れていたなあ急勾配の大岩石の突端で、一ツ転がりゃあ粉微塵ですからね。今考えてもゾッとしますよ』とルバリュが云っていた。
『ジルベールが死刑の宣告を受けてから今日で十八日……私はホントにどうしたらいいでしょう』とメルジイ夫人は涙声。ルパンは病床にあって、ハッと思うとまたしても意識が朦朧となってしまった。
 ルパンの病中、メルジイ夫人は一ツにはドーブレクの動静を捜り、一ツにはジルベールの様子を聞くために巴里《パリー》へ行った。しかしドーブレクの行方はまだ解らなかった。数日の内にルパンは元気を恢復した。そして部下二名と共に巴里《パリー》へ乗り込んだ。とその日ドーブレクは飄然姿を自分の邸に現わし、アッと思う間にまたしても行方不明になった。まもなくメルジイ夫人から手紙が来て、自分はドーブレクの後を尾行して行くからリオン停車場へ来てくれと云って来た。
 早速ルパンが部下をつれて駈け付けた時は、列車はすでにモントカロへ向って出発した後であった。
 ルパンはすぐに後を追った。しかしモントカロへ着くと、再びメルジイ夫人の手紙が待っていた。
[#3字下げ]「彼はカンヌで下車し、更に伊太利海岸線にてサンレモへ向います。クラリス」
 サンレモへ行くと駅のボーイが来てゼノアに直行した事を伝えた。
『思えば馬鹿気ている。……俺達は一体何をしているんだ……明後月曜日はジルベールの死刑執行日だ……いっそ巴里《パリー》へ帰って別方面で救出す手段を講じようかしら……どうもそれがよかりそうだ……』と思い付くと彼れは動き出した汽車から飛び降りようとして、『危え、首領!』と二人の部下に抱き止められた。かくてルパンは不安の胸を浪立たせつつ、的もなく果しもない汽車の旅を続けた。……

 風光の明媚をもって世界に冠たる仏蘭西の南海岸ニイスの旅館の一室にクラリス・メルジイは不安らしい顔をして旅の疲れを長椅子に横たえていた。この日、ルパンは果しない旅を伊太利方面に向けて出発していた時である。翌朝、彼女は隣室へ忍び込んだ。云わずと知れたドーブレクの室である。室の中には目指す品物は無かったが、捜していると、後方から突然、
『ハハハハ、品物は見付かったかね?』
 ハッと思って振り返れば外出したはずのドーブレクが、皮肉な笑いを邪淫の口辺に洩しながら突立っていた。彼女の身体は谷《きわ》まった。しかもルパンは来ぬ。否行方すら解らない。
 ドーブレクは悠々として驚くクラリスを尻目にかけつつ、彼の計画を語った。彼は反対にクラリスを尾行していたのであった。しかも部下を使ってルパン等に偽手紙と偽口伝をを残さしたのであった。兇悪奸譎な代議士のためにルパンは不知の境に徘徊させられているのだ。あわれ夫人、彼女は孤立無援、しかも恐るべき悪魔の手に陥ってしまったのだ。
 常勝将軍をもって誇る彼アルセーヌ・ルパン今は惨憺たる敗北また敗北、敵のために思うがままに翻弄され尽して、しかもそれを自覚せず、今頃はどこの空に、クラリスの跡を尋ねているのだろうか。
 薄命の夫人が悲惨な運命の最後は来た。不倶戴天の仇敵の前に、今は最後の膝を屈しなければならなかったのだ。ドーブレクは次第に迫って来る。今は絶体絶命! もはや抵抗する力も失せてただ死――観念の眼を閉じた。
『ああ、ジルベール……ジルベール……』と口の中で呟いた。
 と不思議! 迫り来べき敵は一歩も進まなくなった。五秒……十秒……二十秒……ドーブレクは動こうともしない。
 クラリスは恐る恐
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