て待て。感情のたかぶっている時には判断が間違って来る。だから黙って冷静に妄想を起さずに考えるんだ。事件の出発点を握らないで、いたずらに錯雑した事実ばかりに捉われているほど馬鹿々々しい事はない。そんな事をしているから迷宮から出られないんだ。だからまず、ルパン、お前の才能に聴け、お前の感得に依って猛進しろ。あらゆる論理的判断に俟《ま》つまでもなく、この怪事件は不可思議な栓を中心に渦を巻いているんだ。だから、そこへ勇敢に突っ込め、ドーブレクと問題の水晶とをたたきつぶせ!」
ルパンはこの決論を俟《ま》つまでもなく、早速実行に取りかかった。
彼はボードビルの劇場における事件の三日目に、古ぼけた外套を被って、頸巻《えりまき》に顔を埋め、ラマルチン広場からやや遠く離れたビクトル・ユーゴー街の共同椅子に腰を下ろしていた。自分の手許《てもと》へ来た報告によれば、ビクトワールは毎朝、この共同椅子の前を通るはずであった。
やがて買物篭を腕に抱えて、ビクトワールが遣って来た。見ると非常に昂奮して真蒼《まっさお》な顔をしている。
『さあ、これですよ、あなたの探しているのは……』彼女は前後を見廻しながら、篭の中から小さな品物を取り出して彼の手に渡した。ルパンは茫然とした。手には水晶の栓を握っている。
『ほんとかい? ほんとかいこれは?』
と呟いた。余り無造作に手に這入《はい》ったので、むしろ一種の失望をさえ感じていた。
しかし、現実の事実である。目に見る事も出来れば、手に触《ふ》るる事も出来るのだ。その形、その大いさ細かい金線の飾り、まぎれもなく彼がかつて手にしたことのある水晶の栓に相違ない。目につかぬほどの微細な傷がその栓の頸の処にあるものと見覚《みおぼえ》がある。品物に間違いはないが、うち見たところ、何等変った点もなく、ただ一個の水晶の栓に過ぎない。他の栓と区別すべき何の特徴もなければ、何の記号も印もない。一個の印を刻んだに過ぎないもので、別に不思議な点も見当らない。
『何だいこれは?』
ルパンはふと疑惑に捉われて云った。この水晶の栓に附随する価値を知らないで持っていた[#「持っていた」は底本では「持つたゐた」]処が何の役に立とう。ただ硝子の一片に過ぎないんだ。これを手に入れる前に、まずその価値を知らなければならない、ドーブレクからこれを奪い取って見たものの、それが馬鹿げたこと
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