、その索道にはめてある、索の輪を動かすための、通《かよ》い索《づな》である。この通い索を岩の上でたぐって、船の方をのばせば、輪は索道をすべって、岩の方へ行くし、船でたぐって岩の方でのばせば、輪は、船の方へくるのである。
 輪についた通い索を、船と岩とで、かわり番に引っぱってみると、試運転はうまくいった。これで、みんなが、岩にあがろうというのである。
 そこでまず、この輪に、最年少者の漁夫の国後《くなしり》が、腰をかけると、そのがっちりした胴中《どうなか》を、しっかりと索で輪にくくりつけた。かれは、両手で輪にすがって、岩の方をむいた。
 船では、みんなが、通い索をのばし、岩の上では、運転士と水夫長が、よんさ、よんさ、と通い索をたぐりはじめた。
 しかし、索道の索は長い。一方は、ひくい岩に止めてあり、船の方でも、そんなに高いところには止めてない。いくらぴんとはっても、索道のまんなかは、索の重さでたれさがって、波につかっているのだ。この索道に通してある輪に、人をくくりつけて送るのだから、人の重さで、索道はいっそう、たれさがってしまう。
 漁夫の国後は、船をはなれると、すぐに、立ちさわぐ波に、ひたってしまった。だが、じっとしんぼうして、輪にすがってさえいれば、やがて岩に引きあげられるのだ。運がわるいと、なんべんも海水を飲むし、浅いところでは、底の岩に、どしんとからだをたたきつけられることも、たびたびである。けれども、泳ぐよりは安全だ。索道や通い索が、切れさえしなければ、命にかかわりはない。
 国後は、波まにかくれたり、あらわれたりして、だんだん船から遠くなっていったが、やがて、索をたぐる運転士と水夫長の力で、岩の上に引きあげられた。国後は、索の輪からからだをほどいて、岩の上で高く両手をふっている、索道わたしは、あんがいうまくいくではないか。
 船では、通い索をたぐって、輪を引きよせ、こんど、最年長者の、小笠原《おがさわら》老人をくくりつけて、
「それ引け」
 と、あいずをすると、岩の上の三人は、「よし」とばかり、ぐんぐん通い索をたぐって、たちまち、また一人が岩に着いた。
 こうしてつぎつぎに、私を残した十五人は、みんなぶじに、岩の上にあつまった。
 索道わたしも、もう心配はない。あとは、必要品の、陸あげをしなければならない。一人船にのこった私は、
「だれか、本船へ来い」
 と、手まねきをすると、まず運転士が、私の引く索につれて、やって来た。そして、水夫長と、元気な会員の川口と、泳ぎの達者な帰化人の父島《ちちじま》が、つぎつぎに船にやって来た。そして、手近なうく物を海へ投げこむと、ざあっ、と岩の方へ流れて行く。岩の方では、それを待ちかまえて、一つ一つひろいあげ、波にさらわれないように、 岩のまんなかに運ぶのが見える。うく物は、索道ではこぶ必要がないのである。
 食糧品をだそうとしたが、船底にちかい糧食庫は、すでに海水がいっぱいになってしまって、はいっていけない。料理室に、米が一俵あった。これは、料理当番にあたった者が、前の晩、朝飯の用意に、下からかつぎ出しておいたものだ。そこで、これをぬらさずに、岩におくる方法を考えた。
 米俵のまま、二枚の毛布につつみ、その上を、雨合羽《あまがっぱ》でよく包んで、大きな木の米びつにいれてしっかりふたをした。またその上を、防水の油をぬってある、帆布《ほぬの》でつつみ、しっかりと索でしばって海に投げこむと、うまいぐあいに岩にとどいて、米はぬれなかった。
 つぎに、ぬれ米を一俵さがしだした。入れて流す箱がない。そこで、俵が破れぬよう、帆布でつつんで索でしばり、これに、石油の空缶《あきかん》二個をしばりつけ、空缶の口には、ぼろきれの栓をした。空缶は、俵のうきである。うまく岩にとどきますようにと念じて、海に投げこむと、これもぐあいよく、すうっと岩にとどいた。これで、石油缶二個は、ぬれ米一俵をうかす力があることが、わかった。
 船にいる私たち五人は、いさみたった。
「よし、石油缶をあつめろ」
 と、石油缶を、方々からあつめた。船には、かめやふかの油を入れるため、石油缶がたくさんあるのだ。
 いろいろの物を、石油缶にしばりつけては、海に投げこんで、岩に送った。井戸掘道具の、つるはし、シャベル。それから、のこぎり、釜《かま》、双眼鏡、毛布類、帆と帆布。索をたくさん、料理室に出してあった食糧品などは、石油缶が、みんな岩に送ってくれた。
 しかし、品物がとちゅうで落ちて、石油缶だけがいきおいよく岩についたものもあった。斧《おの》、鍋《なべ》などが、そうだった。いずれも島生活には、なくてはならぬ品なので、みんな、じつにがっかりした。
 糧食庫の水をもぐって、もぐりのとくいな父島が、かんづめの木箱をひき出した。あまいものがすきな男だったので、第一にコンデンス・ミルクの箱をとり出した。なかには、使い残りの二十八缶があった。二番めにもぐって、牛肉のかんづめの木箱。それから、羊肉《ようにく》かんづめ、くだもののかんづめ。かんづめの入れてある重い木箱を、手さぐりで、一生けんめいとり出した。この貴重なかんづめは、みんなぶじに岩にとどいた。
 漁具は、漁業長が、せっかく集めておいたのに、いつのまにか、波がさらっていった。これにはみんながっかりした。

 いろいろの品物を、船から送った岩は、船よりは、もちろん大きかった。船に面した方は、波がうちあたって、白くあわ立った海水が、岩によじあがろうと、しぶきを立ててくるっている。しかし、その反対がわの岩のかげになっている方は、岩が防波堤となって、静かな水面となっている。岩の裏表の海の変化は、じつにひどい。十六人にとっては、岩の裏の静かな水面は、よい港であった。
 ひっくりかえった伝馬船をおこして、水をかい出し、櫓《ろ》や櫂《かい》をひろい集めて、岩かげの港につないだ。流れよった品物は、何もかも、岩の上につみあげた。
 伝馬船は、十六人がのれば、山もりになって、もうなにもつめない。そこで、細長い、三角形の筏《いかだ》を作って、荷物をつむことにしようと、筏の材料を、船から、手あたりしだいに、取りはずして岩に送った。円材、帆桁《ほげた》、木材、大きな板、部屋の戸などを海に投げこむと、波は、すうっと、岩まで運んでくれる。岩の上の人たちは、それをひろって、うらの港で、せっせと三角筏に組み立てた。

 こうして、時のたつうちに、船も、だんだん波にこわされてきた。いつまでも居残って、あんまりよくばっていると、ついには命があぶない。もうきりあげよう。それにこれから、ながい年月住めるような島を、さがしに行かなければならない。
 私たち五人は、ついに、龍睡丸《りゅうすいまる》に心をのこして、じゅんじゅんに、索道で岩にあがった。
「総員集合」
 岩の上に、みんなを整列させて、点呼をして、一人一人しらべてみると、全員ぶじで、けがひとつしていない。私はいった。
「どうだ、この大波をくぐっても、一人のかすり傷を受けた者もない。まったく、神様のお助けである。これは、いつかきっと、みんながそろって、日本へ帰れる前兆にちがいない。これから島へ行って、愉快にくらそう。できるだけ勉強しよう。きっとあとで、おもしろい思い出になるだろう。みんなはりきって、おおいにやろう。かねていっているとおり、いつでも、先の希望を見つめているように。日本の海員には、絶望ということは、ないのだ。
 筏は、ここにつないでおき、荷物は、岩の上において、これから伝馬船で、島をさがしに行くから、島を見つけだし、いどころがきまってから、筏を取りにひき返そう。
 伝馬船には、井戸掘道具、石油の空缶五、六個、マッチ、かんづめ一箱、風がふきだしたら、帆にする帆布と、帆柱にする丸太、たきぎにする板きれを積め、用意ができたら、すぐ出発」
 私の訓示とげきれいに、一同はこころよくうなずいて、出発の用意にかかった。
 用意はすぐにできた。
「伝馬船、用意よろし」
 運転士は、大声で報告した。
「出発」
 私の一令で、十六人の乗りこんだ伝馬船は、岩をはなれた。

   龍睡丸《りゅうすいまる》よ、さらば

 風のない朝の大海原を、たくみに暗礁《あんしょう》のあいだをくぐりぬけ、うねりの山を、あがったりおりたりして、北をさして、こぎすすんだ。
 うねりの山のいただきに、伝馬船《てんません》がもちあげられる時には、難破している龍睡丸が見える。龍睡丸は、わかれをおしむのであろうか、帆柱が、ぐらぐらゆれている。かわいそうに、こうしてはなれたところから見ると、大波にうちたたかれて、たえず、白い波が船体をつつんでいる。あんな大けがをしても、くだけるまで、勇ましく波と戦っているのだ。なつかしい龍睡丸。
「ながい間、生死をともにして、波風をしのいできた龍睡丸。おまえを見すてて行くのも、十六人はお国のために、生きなければならないからだ。不人情な人たちと思うかもしれないが、われわれの心も察してくれ。おまえだって、りっぱなさいごだ。犬死ではない。さらば、わかれよう――これが見おさめか、さらば――」
 心のなかで手を合わせたのは、船長の私ばかりではあるまい。だれの目にも、なみだがあった。
「いい船だったなあ――」
「ああ、粉みじんか、かわいそうに」
「泣くなよ」
「おまえだって、泣いてるくせに……」
 ふりかえり、ふりかえり、北をさして、伝馬船は漕《こ》ぎすすんだ。

 伝馬船は満員で、櫓《ろ》と櫂《かい》が、やっと漕げた。小笠原《おがさわら》老人は、岩に流れついたおわんと、ほうきのえの竹を、だいじに持っていた。
「老人、つえの用意か」
 だれかがいった。すると小笠原は、
「はっはっ、つえじゃないよ。おわんだってそうだ。こんなものとみんな思うだろう。だが、つまらないと思うものが、いざとなると、ほんとに役に立つのだ。それが、世の中だ。わかい者にゃ、わからないよ。潮水の修業が、まだたりないよ」
 と、いつもの調子でいってから、いねむりをはじめた。
 どのくらいの時間がたったろう。時計がないので、はっきりしないが、ずいぶん長い間、漕ぎつづけた。が、島は、いっこうに見えない。ところが、じっさいは、二時間たらずの時間なのだから、そんなに遠くに来たわけではない。夜中からのさわぎで、頭がつかれているのだ。
 櫓を漕ぐ者も、櫂を使う者も、のどがかわいて、いつもの元気がない。しかし、伝馬船には、一てきの飲み水もない。龍睡丸が、どかんと岸にあたると同時に、清水《せいすい》タンクは、こわれてしまったのだ。
「もう見えそうなものだ」
 漁夫の一人がつぶやくと、小笠原が、
「島は、どっかにあるよ。心配するなよ」
 と、はげます。
 しばらくすると、帰化人の範多《はんた》が、
「島のない方へ行くのじゃないかな。とちゅうで腹がへってはたいへんだ、もうひきかえした方がいい」
 と、心配そうにいう。しかしだれもあいてにしない。
 多くの者は、さすがに海の勇士だ。ずぶぬれの服で、伝馬船にすしづめになって、身動きもできず、うずくまりながら、うつらうつら、いねむりをしていた。
 みんな、ずぶぬれは平気だ。航海中に、船の甲板で任務についていると、大雨の時は、びしょぬれ。大しけには、たえず波をかぶって、ぬれどおし。いくら雨合羽《あまがっぱ》をきていても、だめだ。着かえていたら、きりがない。また、何枚も着がえを持っていない。任務を交代して、水夫部屋へさがってもぬれたままねるのだ。
 私は、はげますようにいった。
「もっと、精を出して、交代して漕げ。手のあいている者は、今のうちにいねむりをして、休んでおけ。島につけば、うんといそがしくなるから」
 交代した漕ぎ手は、小声で、
「やんさ、ほうさ、ほらええ、ようさ……」
 かけ声に合わせ、調子をとって、櫓、櫂を漕いだ。このかけ声が、いねむり連中には、なつかしい子守歌のように、ここちよいのである。
 へさきに立って、小手をかざして前方を見ていた運転士が、目ざとく、水平線に一ヵ所、かすかにた
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