われる向きになっていたら、すぐにも、くだけてしまったであろう。
私は、まっくらやみの甲板に、乗組員一同を集めて申しわたした。
「こんな場合の覚悟は、日ごろから、じゅうぶんにできているはずだ。この真のやみに、岩にくだけてくるう大波の中を、およいで上陸するのは、むだに命をすてることだ。夜が明けたら上陸する。あと三時間ほどのしんぼうだ。この間に、これからさき、五年、十年の無人島生活に必要だとおもう品々を、めいめいで、なんでも集めておけ」
波を、頭からかぶりながら、甲板にがんばって、これだけのことをいった。そして、大声で号令した。
「漁夫四人は、漁船をまもれ。しっかりしばれ。波に取られてはだめだぞ」
「水夫四人は、伝馬船《てんません》をまもれ。命とたのむは、伝馬船だ。水夫長は、伝馬船をまもってくれ」
「漁業長。安全に上陸ができても、この波のぐあいでは、とても、食糧品をじゅうぶんには運べまい。漁具がたいせつだ。できるだけ多く集めて、持ってあがる用意をしろ」
「榊原運転士。君は、井戸をほる道具を、第一にそろえてくれ、シャベル、つるはし、この二つは、ぜひとも必要だ。マッチ、双眼鏡、のこぎり、斧《おの》も、ぬからずに」
「練習生と会員は、島にあがって、何年か無人島生活をして、ただぶじに帰っただけでは、日本国に対して、めんもくがあるまい。かねておまえたちが望んでいた勉強を、みっちりしなくてはならない。できるだけの書籍を集めて、はこびだすようにしろ。船長室にあるのは、みんな持って行け。六分儀も、経線儀も。いいか、すぐにかかれ」
船が、どしいん、と岩に乗りあげると同時に、船内の灯火は、全部消えた、岩にぶつかり方がはげしかったので、室内の本棚や棚から、書籍がとび出し、いろいろの器物もころがり落ちて、船室のゆかや甲板に、ごちゃごちゃになっていた。
ランプは、いくらつけても、すぐ消えてしまう。風はないが、波のしぶきが、たえずかかるからである。みんなは、まっくらやみの中を、海水を頭からあびながら、手さぐりで、物を集めるのであった。
波にうたれて、船体は、めき、めき、ぎいい、ぎいい、とへんな音がしてきた。大波が、どしいんとぶつかるたびに、きっと、どこかをこわし、何かをさらって行った。
さらわれないように、しっかりしばりつけた漁船は、たった一つの大波が、ざぶうん、とおそいかかると、粉みじんにくだけて、小さい破片も残さなかった。しかし、漁船をまもっていた四人の漁夫は、さすがに、いくどか大しけの荒波をしのいできた勇士だ。一人のけがもなく、ぶじに残った。
私は、みんなに命令するとすぐに、船長室に飛びこんで、必要な書類を[#「書類を」は底本では「書類な」]一まとめにして、しっかりとふろしきづつみにして、寝台の上においた。それからずっと甲板に出て、指図をしているうちに、大波が、右舷《うげん》からうちこんで、船長室の戸をうちやぶり、左舷へ通りぬけて、室内の物を、文字通り、洗いざらい持っていってしまった。海図も、水路誌《すいろし》も、コンパスも、波がさらっていった。
まだ波に取られないのは、伝馬船一|隻《せき》。命とたのむのは、これだ。こればっかりは、どうしても失ってはならない。総員全力をつくして、伝馬船をまもった。
こんなたいへんな時にも、十六人の乗組員は、よく落ちついて働き、とくに小笠原《おがさわら》老人は、よく青年をはげまして、上陸の支度をした。
今夜にかぎって、時のたつのが、じつにおそい。夜明けが待ち遠しい。早く夜が明けますように――波をかぶりながら、神に祈った。
小笠原島生まれの、帰化人の範多《はんた》が、私にきいた。
「島に、飲み水はありますか」
私は、どきっとした。小さな珊瑚礁《さんごしょう》に、水の出るはずがない。しかし、せっかく島へあがっても、命をつなぐ水がないといったら、一同は、どんなにがっかりするであろう。
「水は出るよ」
と、私は答えた。それも、あれこれと考えたすえ、うそと知りつつ、よほどまのぬけた時分に答えたのであった。
とにかく、あと、一、二時間しんぼうすれば、夜が明ける。それまで船体は、波にたえしのげるだろう、と見こみをつけた。
大波が、ずどうん、とおそって来るたびに、船体は、びりびりと、ふるえるようになった。甲板にはってある板のつぎ目がはなれて、一枚一枚の板が、うねりまがって、歩くのが困難となった。帆柱は、ぐらぐら動きだした。いつ倒れるかもしれない。
「マストに用心しろ」
運転士が、みんなに注意した。
伝馬船《てんません》も人も波に
神様に願ったかいがあったか、やっと、夜がしらしらと明けかけてきた、暁の光で見ると、はたして暗礁《あんしょう》である。岩が遠くまでちらばり、怒濤《どとう》がしぶきをあげている。
船から百メートルぐらいのところに、かなり大きな平らな岩が、水上に頭を出している。その岩と船との間に、わき立つ大波が、あばれくるっている。
「たぶん、島が見えるだろう。マストにのぼってみろ」
いまにも倒れそうな帆柱《ほばしら》に、二人ものぼらせたが、朝もやがじゃまして、島を見せてくれなかった。
私は、海図と水路誌の記憶によって、一同に申しわたした。
「島は見えない。ひとまず、近くのあの岩にあがって、それから島をさがしに行こう。船長は、さいごに上陸するが、船長が上陸できなかったら、一同は、ここから北の方に進んで行け。きっと島がある。その島に水がなかったら、北西の、つぎの島へわたれ。それが、ミッドウェー島だ」
「さあ、上陸だ。用意をしろ。持ち出す物をわすれるな。みんな、できるだけたくさんに服を着ろ。冬服も夏服も着ろ。くつ下をはいて、くつをはけ。帽子をかぶって、その上から、手拭《てぬぐい》やタオルで、しっかりと頬かぶりをしろ、おびになるものは、何本でもいいから、しっかりと胴中をしばれ。ジャック・ナイフ(水夫の使う小刀)を落さぬように――」
みんなは、エスキモー人のように着ぶくれた。それは、これから先、衣服はなくてはならぬものであるし、また、珊瑚礁《さんごしょう》を洗う荒波を渡るとき、波にころがされても、けがをしないためであった。
「伝馬船おろせ」
待ちかまえていた号令をきくと、一同は、今さらのように緊張した。全員が命とたのむのは、ただこの伝馬船だ。どんなことがあっても、安全におろさなくてはならない。もし、伝馬船が波にとられたら、もう十六人は、一人も助かるみこみはないものだと、だれもがかくごをしていた。まったくの真剣、命がけの仕事だ。伝馬船をおろす作業は、十六人の命が、助かるか、助からないかの大仕事であった。
たえずおそってくる、大波のあいまを見きわめて、ほんの瞬間、「それっ」と気合をかけておろすのだ。まんいちにも調子がわるく、いじのわるい大波が、どっと伝馬船をもちあげて、ごつうん、と本船の舷側《げんそく》にたたきつけたら、伝馬船は、たちまち、ばらばらにくだけてしまうだろう。また、ざぶり、一のみに海の中へのみこんだら、それっきりである。
そこでまず、この大波をしずめるために、油を流すことにした。
大しけのときなど、よく船から油を流す。それは、油が海面にひろがると、気ちがいのようにさわぎたっていた波も、おとなしくすがたをかえるのである。
荒れくるう波を見ていると、大きな馬が、何万頭となくならんで、まっ白いたてがみをふりみだし、はてもなくつづいて、くるい走るようだ。それが油を流すと、白いたてがみをかくし、ただ、上下に動く大波となるのである。昔から世界各国の船の人は、油が波の勢いをよわめることを、よく知っている。
これは、大しけで、めちゃめちゃにもてあそばれていた捕鯨船が、もうだめだ、と、あきらめかけた時、急に、船の動き方がゆるやかになり、波がうちこんでこなくなったので、ふしぎに思ってあたりを見ると、死んだ鯨が、ちかくに流れていて、その鯨から流れだした油で、波が静かになっているのがわかったことから、油が波をしずめるのに、ききめのあるのを知るようになったのだ。しかも油は、ほんのわずかでいいのだ。たった一てきの油でさえ、二メートル平方の海面を、静かにする。伝馬船をおろすため、本船のまわりいちめんに、静かな海をつくるのには、一時間に、約〇・五リットルの油を、ぽたり、ぽたり、と海に落していればいい。学者のいうところによると、その油は、どんどんひろがって、一ミリの二百万分の一という、想像もつかぬうすい膜となって、海面をおおい、波をしずめるのである。
それで龍睡丸《りゅうすいまる》の乗組員も、たけりくるう波を、油でしずめようとした。
石油|缶《かん》に、海がめやふかの油を入れ、小さなあなをいくつかあけて、二缶も三缶も、海に投げこんだ。しかし、岩にあたってあれくるい、まきあがる磯《いそ》の大波には、油のききめは、まったくなかった。
いよいよ、運転士と水夫長が、伝馬船に乗りこむと、伝馬船をつってある滑車の索《つな》に、みんなが取りついて、そろそろおろしはじめた。
波のあいまを見さだめて、やっと、水ぎわまでおろした。
そこへ、山のような怒濤《どとう》が、ざぶっ、とやって来た。ただひとのみ。あっというまに、伝馬船も人も、見えなくなった。
あとは、ただ白い波が、いちめんにすごく、わき立っているばかり。
さすがの一同も、顔色をかえた。命のつなとたのんだ伝馬船は、波にのまれてしまった。たのみにしている指導者の、運転士と水夫長は、波にさらわれてしまった。もうわれわれは助からない。
船長の私も、決心した。もちろん、ほかの乗組員も、そう思ったにちがいない。だれも、ひとこともいわない。ずぶぬれになって、青い顔をしていた。
このまま、龍睡丸は、伝馬船と同じ運命になって、ここで死ぬのか。みんなは、おどりくるう白波を見つめて、だまっていた。
一秒、二秒、三秒。
「おっ」
「あっ」
「やっ」
とつぜん、二、三人が、おどろきの声をたてた。岩の方を指さし、口をもぐもぐさせている者もある。見れば、向こうの波の上に、一、二メートル頭を出している、ひらたい岩のねもとに、伝馬船が底を上にして流れついているではないか。
やっ。黒い頭が二つ、白い波のなかにうきだした。
しめたっ。二人は、岩の上へ、はいあがって行く。
ごうごうと鳴りひびく波の音で、どんな大声でも、百メートルもはなれていては、聞えはしないが、手まねと身ぶりで、二人ともぶじだ、伝馬船も大じょうぶだ、と、知らせているではないか。
「ばんざあい」
思わずほとばしる、よろこびのさけび。
「ああ、よかった――」
みんなは、ほっとして、顔を見合わせた。
波の上の綱渡り
これで、伝馬船《てんません》では、上陸できないことがわかった。
そこで、まるい救命|浮環《うきわ》に、細い長い索《つな》をつけて流してみると、岩の方へ流れる潮と波とに送られて、すぐに岩に流れついた。
岩の上の二人は、浮環をひろった。これで、岩と船との間に、細長い索がはられた。
船では、すぐに、マニラ麻《あさ》でできた太い索を、この細い索にむすんで、ずんずんのばして、岩の上でたぐってもらった。
こうしてこんどは、船と岩との間に、じょうぶな、マニラ索がつながった。そして、マニラ索のはしを、しっかりと岩にしばりつけてもらうと、船では、たるんでいる索を、えんさ、えんさ、と引っぱり、索をぴんとはって、しっかりと船に止めた。
この太いマニラ索を、索の道――索道《さくどう》にしようとするのである。これが、岩にあがるための、命のつなになるのだ。
つぎには、この索道に、一本のじょうぶな索をまわして、輪をつくった。これに、
人がぶらさがるのだ。そしてこの輪に、別の長い索のまんなかをむすびつけて、その一方のはしを、岩の上に送った。そして他のはしは、船に止めておいた。
岩と船との間には、こうして、二本の索が渡された。一本は、両方のはしが、しっかりしばってある索道で、もう一本は
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