ですからね。『熊《くま》の胆《い》』もありますよ。安心してください。本船は小さいが、それこそ、大船に乗ったつもりでね」
 と、しんせつにいってくれた。
「日本もえらくなったものだ。あたりまえの船がくるところじゃあない、こんな、太平洋のまんなかの無人島へ、日本船が二|隻《せき》も集まったのだ。そして、一隻は難破、一隻はその助け船。これはまたふしぎなまわりあわせになったものだ」
 と、つくづく感心している者もあった。

「ご飯を、ごちそうしよう」
 と、上甲板の日よけ天幕《テント》の下に、とくべつにテーブルと椅子《いす》とをならべて、五人の席ができた。五人は長い間見なかった、白い、かたいご飯を、ごちそうになった。しかし、私はどうしても、それがのどをとおらなかった。
「ああよかった。十六人は、助かった――」
 ただそればかりで、胸がいっぱいだ。お茶をのんでも、味がわからない。まして、ならべてある心づくしのお皿に、何があるのか……
 水夫長も水夫も、おなじらしい。かれらは、ご飯を一口ほおばっては、いつまでもかんで、なみだをぽろぽろこぼしている。そして、半分腰をうかして、私の顔をときどき見るのだ。
「はやく、島の連中に、このよろこびを知らせてやりましょう」
 と、あいずをする気もちは、よくわかる。かれらにも、ものの味などは、わからないのだろう。こうなっては、じっとしてご飯をもぐもぐかんではいられない。私は、立ちあがった。
「長谷川君、ありがとう。一こくもはやく、島の連中をよろこばせてやりたい。ぼくはもう帰る。ご飯は、とちゅうの弁当にもらって行くよ」
「たいした風ではないが、少し波もある。夜はむりだよ、とまっていけよ」
 しんせつにいってくれるが、あした、的矢丸を本部島の近くへよせてもらうことをやくそくして、私たち五人は、夕方五時すぎに、ふたたび伝馬船に乗って、的矢丸をはなれた。
 そして、本部島の方角にけんとうをつけて、元気よく漕いだ。

   よろこびの朝

 島では日がくれてから、かがり火を、さかんにもやした。夜どおし交代で、かがり火当番をしてもやしつづけた。そのころやっと、みんなが、いろいろとうわさをはじめた。
「どこの国の船だったろう」
「助けてくれるかしら」
「遠い外国へ行く船だったかもしれない」
 青年たちは、眠られぬらしい。夜がふけても、かがり火のまわりに集まっている。漁業長と小笠原《おがさわら》老人が、かわるがわるいった。
「当番だけ起きていて、火をもやしつづければよい。あとの連中は、みんなおやすみ。いくらここで気をもんでも、どうにもならないよ。なるようになるのだ。親船に乗った気でいるというのはこういうときのことだ。安心して、さあさあ、おやすみ」
 こうして、青年たちをたしなめた。
 太平洋のまんなかの波にうかぶ、小さな伝馬船《てんません》には、風はすこし強すぎたが、雲の切れめにかがやく星をたよりに、波をおしわけて漕《こ》いだ。「十六人は助かったのだ」このよろこびは、人間のうでの力に人間いじょうの力をつけた。こうなっては、二本のうでは、電気じかけの機械のように、少しもつかれない。ただ漕ぎつづけた。
 ま夜中の一時ごろか、水平線の一ところ、雲が、ぽっと赤いのを見つけた。島でたく大かがり火が、雲にうつっているのだ。もうだいじょうぶだ。島は見つかった。
 火のうつっている赤い雲をたよりに、一晩中漕いだ。そして翌日、すなわち九月四日の夜あけに島に帰りついた。そのとき青年たちは、まだ眠っていた。かがり火当番と、見はりやぐらの当番と老年組は、なぎさに走ってきた。
「おうい、助かったぞ。みんな起きろ」
 この一言で、島はまるで、蜂《はち》のすをひっくりかえしたようなさわぎになった。
 われらは、ついに助けられたのだ。小さな名もない島から、おとなりの、大きなミッドウェー島へ、海上六十カイリの引っこしをするのだ。
 みんな、大よろこびで、荷づくりがはじまった。めいめい研究したものを、とりまとめたり、めぼしい品物を集めたり、小屋をかたづけたり……
 糧食がかりの運転士が、一同にいった。
「みんな、不自由を、よくしんぼうしてくれた。きょうは、ありったけのごちそうをするから、えんりょなく註文してくれ」
 わかい者たちは、よろこんだ。
「かたい、白いめしをたいてください」
「ライスカレーを作ってください」
「パインアップル缶《かん》をあけてください」
「あまいコンデンスミルクを願います」
 料理当番は、てんてこまいだ。
 十六人は、島ではじめての、そしていちばんおしまいの、大ごちそうの朝飯のまえに、一同そろって、海水に身を清めてから、はるか日本の方角にむかって、心から神様をおがんだ。
 それから私は、整列している一同に、いった。
「いよいよ、この島を引きあげるときが来た。考えてみると、よくも、あれだけの困難と不自由とをしのいで、海国日本の男らしく、生きてきたものだ。
 一人一人の、力はよわい。ちえもたりない。しかし、一人一人のま心としんけんな努力とを、十六集めた一かたまりは、ほんとに強い、はかり知れない底力のあるものだった。それでわれらは、この島で、りっぱに、ほがらかに、ただの一日もいやな思いをしないで、おたがいの生活が、少しでも進歩し、少しでもよくなるように、心がけてくらすことができたのだ。
 私たちはこの島で、はじめて、しんけんに、じぶんでじぶんをきたえることができた。そして心をみがき、その心の力が、どんなに強いものであるかを、はっきり知ることができた。十六人が、ほんとうに一つになった心の強さのまえには、不安もしんぱいもなかった。たべるものも、飲むものも、自然がわけてくれた。アザラシも、鳥も、雲も、星も、友だちとなって、やさしくなぐさめてくれた。これも、みんなの心がけがりっぱで、勇ましく、そしてやさしかったからだ。私は心から諸君に感謝する。ありがとう。
 これから、おとなりのミッドウェー島で、三ヵ月もくらせば、的矢丸がむかえにきてくれる。ミッドウェー島に引っこしてからは、この経験したことに、みがきをかけて、ほんとうのしあげをしなくてはならない。いっそう、よくやってもらいたい。あらためて、みんなにお礼をいう」
 私は、みんなに対して、まごころこめて、おじぎをした。
 十五人も、ていねいに頭をさげた。しばらくは、みんな、銅像のように立っていた。すすり泣く者もあった。
 小笠原老人が、一歩前へ出た。頭をさげて礼をしてから、とぎれとぎれにいった。
「年の順で、一同にかわりまして。……ただ、ありがたいと思います。この年になって、はじめて、生きがいのある一日一日を、この島で送ることができました。心が、海のようにひろく、大きく、強くなった気がします。
 ありがとうございます。このうえとも、よろしくお願いいたします」
 私は、このときの感激を、いまでもわすれない。みんなも、そういっている。心と心のふれあった、とうといひびきを感じたのだ。

 たのしい朝飯のはしをとった。笑い声が、たえまなくわきあがる。水夫長は川口に、なによりのみやげ話をした。
「的矢丸には、いい薬がある。『熊《くま》の胆《い》』もあるよ。よろこべ、『鼻じろ』の胆《きも》はようなしだ。あいつも命びろいをしたよ」
 川口は、近ごろはじめて、胸をそらして、
「うあっ、はっはっ」
 と、雷声でごうけつ笑いをした。それがまた、とてもうれしそうだったので、十五人も声をそろえて、
「うあっ、はっはっ」
 と、大笑いをした。
 食後、運転士から、一同に、
「的矢丸の人たちが、ここへ上陸するまでに、ズボンだけでもはいておけ。はだかは、もうおしまいだ」
 と、注意した。

   さらば、島よ、アザラシよ

 かくて、この日の午後、的矢丸は本部島の沖に近よって、伝馬船《てんません》一|隻《せき》と、漁船三隻をおろして、乗組員は、十六人をむかえにきた。
 的矢丸の船員は、島のあらゆる設備を見て、ただ感心するばかりであった。かめの牧場におどろきの目を見はり、われらの友アザラシの、頭やおなかをさすってみた。川口は「鼻じろ」を的矢丸の人たちに紹介した。
 的矢丸船員も手つだって、龍睡丸《りゅうすいまる》の伝馬船と、的矢丸の四隻の小船とは、何べんも、島と的矢丸との間をおうふくして、荷物を運んだ。その荷物が、ふうがわりなもので、引っこし荷物のほかに、的矢丸の糧食にするため、たくさんの海がめと、石油|缶《かん》につめた貴重な雨水が、三十缶、料理用たきぎとして、流木をまきにしたものが、八十五束もあった。

 国後《くなしり》、範多《はんた》、川口をはじめ、アザラシととくべつ仲よしの連中と、もう、ふたたび見ることのできないアザラシたちとのわかれは、見る人々の心を動かした。
 十六人が島から引きあげることを、アザラシどもは察したのであろう。伝馬船のあとをしたっておよいだりもぐったりして、沖の的矢丸までついてきた。
 的矢丸の長谷川《はせがわ》船長は、ほろりとしつつ、いった。
「野生のアザラシでも、こんなになつくのですなあ。はじめて知りましたよ。これはいい報告の材料になりました」
 夕方、的矢丸は、ようやくふきつのった風に帆をはって、本部島をはなれた。われら十六人は、目になみだをいっぱいためて、いつまでも、このなつかしい島を見送った。
 ミッドウェー島に、うつり住むとばかり思っていた十六人は、思いがけなくも、そのまま的矢丸で、航海をつづけることになったのだ。それには、つぎのようなわけがあった。
 はじめ、私たちが救いをたのみに的矢丸に漕《こ》ぎつけたとき、十六人の島生活の話をきいた、的矢丸の水夫や漁夫たちは、
「えらいもんだなあ」
 と、すっかり感心してしまった。そして、伝馬船が島へむかって出発したあと、十六人のうわさばかりしていた。そこへ、日がくれてから、水夫長が、水夫部屋へとびこんできた。
「おい、みんな聞いたか、あす、十六人をミッドウェー島へ移すのだとさ」
「どうして、本船に乗せないのです」
「糧食と飲料水の心配なら、わしら、いままでの半分でも、四半分でも、がまんします。どうか、本船に乗せてあげてください」
「そうだとも。十六人は、わしらのお手本だ」
「船長に、みんなで、お願いしよう」
 こんなわけで、一同の願いがきき入れられて、十六人は、的矢丸に乗り組むことになったのだ。船長も、はじめから、こうしたかったのだ。しかしそうすれば、乗組人数は、これまでの二倍になる。米は、数ヵ月よぶんによういしてあるからだいじょうぶだが、水タンクの大きさにはかぎりがある。飲料水は、いままでの一人一日の量を半分にしても、こののち幾日も雨が降らず、水がえられないと、さらに三分の一にも、へらさなくてはなるまい。これを、部下の船員が、はたしてしんぼうするだろうか。この心配から、気のどくではあるが、十六人に、ミッドウェー島で待っていてもらうことを考えたのであった。

   母国の土

 的矢丸は、できるだけ水を節約しつつ、愉快な航海をつづけた。十六人が乗り組んでから、船内は、いっそうほがらかに、的矢丸乗組員は、たいへん勤勉に、そして、規律正しくなった。それは、十六人が恩返しに、的矢丸の仕事に、まごころをつくして働くのを、見ならったからだ。
 島の教室は、的矢丸船内にうつされた。そこでは、的矢丸乗組員の一部もくわわって、学習がはじまった。こうして龍睡丸《りゅうすいまる》乗組員は、勉強のしあげができた。また、的矢丸も、りっぱなせいせきで、遠洋漁業をすませて、故国日本へ帰ってきた。

 明治三十二年十二月二十三日。十六人は、感激のなみだの目で、白雪にかがやく霊峯《れいほう》富士をあおぎ、船は追風《おいて》の風に送られて、ぶじに駿河湾《するがわん》にはいった。そして午後四時、赤い夕日にそめられた女良《めら》の港に静かに入港した。
 十六人は、的矢丸の人たちに、心の底から感謝のことばをのこして、「よし、やるぞ」の意気も高らかに、なつかしい母国の土を、
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