東へと漕ぎ進んで、十時すぎに、本部についた。
 いつも三人だけ、宝島にはなれていたのに、ひさしぶりで、十六人の顔がそろった。伝馬船の荷物を、総員で陸あげしてから、石油缶にいっぱいつめてきた、おみやげの草ブドウの実を、みんなで、おいしくたべた。そして、二人の病人には、とくべつにたくさんわけてやった。これも、島のたのしいひとときである。
「ちょっとの時間だ。大いそぎで、だれかかわって、見はり当番にも、ごちそうしてやれ」
 私の一言で、見はり番にはかわりの者がのぼって、やぐらから当番の川口もよびおろされて、大喜びで草ブドウをほおばっていた。
 運転士が、るす中のことについて報告したが、おしまいに、
「それから、病人のことですが、おるす中に、よくいってきかせたのです。みんなが心配しているのだから、一日もはやく、アザラシの薬をのんで、元気になってくれ。おまえたち二人が、アザラシの胆《きも》をのんだら、みんなが、どんなに安心して喜ぶことだろう。二人のためばかりではない、みんなのためだからな、と申しますと、よくわかりました、早くのんでよくなりましょう、と、すっかり承知しました」
 と、つけくわえた。
「そうか、それはいい。では、さっそく実行しよう。やがて昼飯になるだろうが、それまでに、やってしまおう」
 そこで急に、アザラシの胆とり役の、くじびきがはじまった。見はり当番の川口は、「鼻じろ」から胆をとるくじびき、ときいて、さっと顔色をかえたが、そのまま走って、やぐらにのぼって行った。ほかの者は、昼飯までそれぞれの当番配置につこうとして、島の活気みなぎる仕事がはじまりかけた。
 アザラシの胆とり部隊は、隊長が水夫長、つづく勇士が、範多《はんた》と父島。この三人が、くじをひきあてたのだ。
 漁業長が、かなり大きな帆布を持ってきて、
「アザラシの死体は、手ばやくこれでつつんで、ほかのアザラシに見せないように」
 と、父島にいって、手わたしてから、三人に、
「いっぺんにアザラシどもをおどろかして、あの半島によりつかなくなっては、たいへんだから、そのへん、うまくたのむよ。それから、こっちは、はだかだから、『鼻じろ』に、かみつかれたり、ひっかかれたりして、けがをしないように」
 と、注意した。父島が帆布を持ち、水夫長と範多が、太いぼうをかついで、私たちに、ちょっと敬礼をして、
「うまく、やってきます」
 といって、三人が二、三歩あるきだした。その時だ。見はりやぐらの頂上で、
「あっ」
 という、とほうもない大きなさけびが、ただ一声。大声の持主、川口が、せいいっぱいの雷声を出したのだ。とつぜんのことで、みんな、びっくりした。ただごとではない。
「なんだ」
「どうした」
 十五人が、いっせいに見あげるやぐらの頂上では、川口が、もう一声も出せず、うでをつき出して、めちゃめちゃに足場板をふみならしているではないか。それを一目見て、
「気がちがったっ」
 ぎょっとしたみんなは、その場に、立ちすくんでしまった。

   船だ

 川口が、気がちがったようにつき出したうでにみちびかれて、沖に目をうつすと、はるか水平線のあなたに、とても小さいが、くっきりと、スクーナー型帆船《がたはんせん》の帆が見えるではないか。
「あっ」
 こんどは地上の十何人が、だれもかも、手にしたものをほうり出して、とびあがった。
「たいへんだっ、船だっ」
「それっ。信号だっ、火だっ」
「伝馬《てんま》っ」
 総員は、右に左に、それこそとびちがうように走って、非常配置の部署についた。それが、またたくまに、みごとにてきぱきと、日ごろの訓練どおりに、手順よく進行した。
 三ヵ所から、みるみる黒煙がふきあがりはじめた。
 私は、双眼鏡を首にかけながらなぎさに走って、伝馬船にとび乗ると、伝馬船当番の三人の水夫は、もう、櫓《ろ》と櫂《かい》とをにぎっている。飲料水入りの石油|缶《かん》をかついで、水夫長が乗りこむ。と私と水夫長と当番三人の、帽子と服とをひとまとめにしたつつみが、伝馬船に投げこまれる。数人が、伝馬船をなぎさからつき出す。
 すると、櫓も櫂もぐっとしわって、伝馬船は、ぐんぐん沖にむかって進んでいた。これがみんなほとんど同時に活動しだしたのだ。まるで、電気ボタンをおすと、大きな機械が一時に動き出すのとおなじように――
「ばんざあいっ」
 島に残った十一人が、のどもさけろとさけぶのも、はやうしろに、
「えんさ、ほうさっ」
 櫓と二つの櫂をしわらせて、うでっぷしのつづくかぎり、沖合はるかの帆船めがけて、ただ漕《こ》ぎに漕いだ。
 その帆船は、どこの国の船かわからない。はだかで漕ぎつけては、日本の名誉にかかわる。それで、まえから、こういう場合のことを考えて、船長と水夫長、それに伝馬船当番三人の、帽子と服とはひとまとめにしておいて、飲料水といっしょに、いざというとき、伝馬船につみこむ用意がしてあったのだ。あの船に近くなったら、ひさしぶりで服装をととのえて、どうどうと乗りこもう。
 ふりかえって見ると、島には、黒煙がいきおいよく立ちのぼっている。沖の船では、遭難者がすくいをたのむ信号と見ているにちがいない。一こくもはやく漕ぎつけよう。

 さて、島では、見はりやぐらにむらがりのぼって、沖の帆船と、だんだん小さくなって行くわれらの伝馬船をみんなだまって見まもっていた。昼飯をたべることなど、すっかりわすれている。
 あの剛気な川口が、せいいっぱいの雷声で、「あっ」と一声は出たが、あまりのうれしさに、それっきりのことばが出なかったのだ。あの場合、だれだってそうだろう。「あっ」というのは、「船だ」「帆だ」という意味なのだ。
 島にのこって沖を見つめている十一人は、説明のしようもない、ただ胸いっぱいの気もちで、だれもだまっている。目にはなみだがいっぱいだ。わかい者は、一時はこうふんもした。だが、じきにおちついた。老年組は、さすがに、岩のようにどっしりとしていた。せんぱいたちは、どんなときでも、りっぱなお手本を青年たちに見せているのだ。ここが、日本船員のえらいところだ。

 風が、ぴゅうぴゅうふきだしてきた。波のしぶきが、海面に白く立ちはじめた。その中を、伝馬船はあれ馬のように進んでいった。漕ぎ手は、いまこそ、たのむはこの二本の鉄のうでと、めざす帆船にへさきを向けて進むのである。けれども、漕いでも、漕いでも、帆船は近くならない。はじめは近く見えたが、四時間も漕いだのに、いっこう近くならない。
 島を漕ぎ出したのは、正午ごろであった。午後四時すぎやっと帆船が近くなった。
 私は遭難いらい、五ヵ月ぶりでズボンをはき、上着をきて、船長帽をかぶった。水夫長も三人の漕ぎ手も、交代で漕ぐ手を休める間に、服をきた。これは、われら日本船員のみだしなみだ。だが、はだしはしかたがない、難破船員だから。
 そのとき、私の双眼鏡のレンズにうつったものがある。
「おや。ゆめではないか」
 また見なおした。たしかにそうだ。
「おい。日の丸の旗だっ。よろこべ、日本の船だ」
「えっ。日本の船。しめたっ」
 水夫長も、水夫も、つけたばかりの上着をかなぐりすてて、猛烈に漕いだ。
 みるみる帆船は、すいよせられるように近くなる。ついにわれらの伝馬船は、帆船へ漕ぎついた。帆船から投げてくれた索《つな》をうけとって、伝馬船は帆船の舷側《げんそく》につながれ、上からさげられた縄梯子《なわばしご》をつたって、私たちは、さるのようにすばやく、帆船の甲板におどりこんだ。
 まっさきに甲板に立った私は、むらがって、私たちを見まもる船員の中央に立っている人を、一目見て、思わず、「あっ」とよろこびの声をあげてしまった。それは、この帆船|的矢丸《まとやまる》の船長で、私にとっては友人の、長谷川《はせがわ》君であったのだ。大洋のまんなかで、二人は感激深い対面をしたのである。

   的矢丸にて

 私たちの漕《こ》ぎつけた船、スクーナー型、百七トンの的矢丸は、政府からたのまれて、遠洋漁業をやっている帆船《はんせん》である。めったに船のくるところではない、このへんの海の漁業調査のため、パール・エンド・ハーミーズ礁《しょう》の北の沖を、西にむかって、暗礁《あんしょう》をよけて航海中、とつぜん、水平線に黒煙が二すじ三すじ、立ちのぼるのを見た。
「たぶん、外国の軍艦でも遭難しているのだろう。錨《いかり》のとどくところがあったら、ともかくも、碇泊《ていはく》しよう」
 それで錨を入れたのは、われらの本部島から、十二カイリ(二十二キロ)の沖であった。
「ボートらしいものが、やってきます」
「日本の伝馬船《てんません》です」
「乗っているのは、まっ黒い、はだかの土人です」
 望遠鏡で見はっていた当直の者から、このような、やつぎばやの報告を受けて、的矢丸の長谷川船長は、遭難した土人が漕ぎつけてくるのだ、と思いこんでいた。
 そこへ、縄ばしごをつたって、甲板によじのぼってきたのは報告どおりの、まっ黒な土人が五人。酋長《しゅうちょう》らしいのが、ただ一人、気のきいた服装をしている。その男が甲板に立って、きっと、こちらを見つめていたが、とつぜん、大きな声で、
「あっ。長谷川君」
 とよぶと、飛びつきそうなかっこうで、両手をひろげて、せまってくる。
 長谷川船長は、びっくりした。
「ええっ」
 目をすえて、土人を見きわめようとするまに、両うでを、力いっぱい、土人につかまれてしまった。でも、友人はありがたい。すぐにわかった。
「やっ。中川君。どうした――」
「龍睡丸《りゅうすいまる》は、やられた……」
「みんなぶじか」
「全員ぶじだ」
 それから私は、船長室にあんないされて、ひととおり遭難の話をしてから、すくってくれるようにたのんだ。
「われわれ十六人を、今すぐすくってくれれば、これにこしたことはない。しかし、君の船はまだ漁業がおわらないのに、急に十六人がやっかいになっては、食糧や飲料水にもこまるだろうし、漁業のさまたげにもなって、めいわくだろう。そこで、どうだろう、一人だけ日本へつれて帰って、報効義会《ほうこうぎかい》へ遭難のようすを報告させてくれないか。もし、それもできなければ、手紙一本だけ日本へ持って帰って、とどけてくれないか。今のところ病人が二人あるが、まだ一年二年は、命にさしさわりはあるまい。それに、十六人は今までの研究で、これからさき何年でも島でくらして行ける自信がある。米もまだ、節約したのこりが、三斗五升(六十三リットル)はあるから」
 両うでを組んで、目をつぶってきいていた長谷川船長は、
「君も知っているように、的矢丸は、やっと目的の漁場についたばかりだ。これから、ほんとうの仕事をはじめるところだ。今すぐ君たち十六人を、この船にひきとって、ここから、日本へ引き返すことはできない。それで、漁業がおわってから、みんなを日本へつれて行こう。それにしても、この島にいたのでは、命とたのむ飲料水にこまるだろう。さしあたり、いい水の出るもっと大きな島、ミッドウェー島に、十六人を明日にも送りとどけよう。そしてミッドウェー島で、的矢丸の漁業のすむまで待っていてくれ。
 米も寝具も服も何もかも、もう不自由をさせないよ。いい薬もある。
 ミッドウェー島は、ここから六十カイリばかり北西の方だ。ともかく今夜は、この船にゆっくりとまって行きたまえ、米のめしをごちそうするよ。あすの朝、本船をできるだけ島によせるから」
 といってくれた。

 その間、水夫長と三人の水夫は、水夫部屋にみちびかれて、心から同情する的矢丸乗組員の、まごころこめての接待をうけた。
 そして、きかれるままに、島生活の話をした。四人をとりまいて、目をまるくして、ねっしんに聞き入る人々は、ことごとに感心して、
「ふうん」
「ほほう」
 と、ときどき、声をたてたり、ためいきをついたりした。病人とアザラシの胆《きも》とりの話をきいて、なみだぐむ人もあった。
 的矢丸の水夫長が、
「本船には、いい薬がありますよ、なにしろ役所からの命令船
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