、また「鼻じろ」のじまんをした。そしてみんなも、「鼻じろ」は、たしかにアザラシのなかで、いちばん強い王様であることをみとめた。川口はとくいであった。かれは「鼻じろ」のように胸をそらして、
「強い大将には、強いけらいがあるよ」
と、いった。すると、水夫長が、
「大将さんははだかで、けらいがりっぱな毛皮の着物を着ているなんて、よっぽど、びんぼうな大将だ」
といった。それでみんな、手をうって、大笑いに笑いこけた。
これも、ほがらかな無人島生活の一場面だ。だが、「鼻じろ」がいちばん強いということが、あとで川口に、かなしい思いをさせることになった。
アザラシの胆《きも》
さて、遭難して島にあがった当時、十六人は、ひどい下痢をしたが、それもじきによくなって、みんなもとどおりのじょうぶなからだになった。しかし、小川と杉田とは、ひきつづいてよわっていた。
宝島の草ブドウの実をたべはじめてから、一時は元気になったように見えたが、その後少しもふとらないで、だんだんやせてくる。当人は、おなかぐあいがいいといって、力仕事に手を出してはいるが、どうも、たいぎらしい。とくべつにたくさん草ブドウをたべさせ、万年灯《まんねんとう》でおなかをあたため、おなかに毛布をまきつけたり、いろいろと手あてをつくすが、少しもききめが見えない。
八月も中ごろになって、島の生活も四ヵ月になった。一同は、すっかり島生活になれて、はちきれそうないきごみで、日々の仕事にせいを出してるが、二人の漁夫の元気のないのが、みんなの気がかりであった。
何かいい薬はないだろうかと、いろいろそうだんしたが、これはたぶん、胆汁《たんじゅう》のふそくからきた病気にちがいない、にがい薬をのませたらいいだろう。それにはアザラシの胆、胆嚢《たんのう》をとって、のませるのがいちばんいい。くまの胆嚢を「熊《くま》の胆《い》」といって、妙薬とされているから「アザラシの胆」も、ききめがあるにちがいない、と話がきまって、さっそくアザラシの胆をとることになった。ところが二人の病人は、「もう少し待ってください。草ブドウをたべはじめてから、じぶんでは、たいへんによくなったと思います。せっかく、あんなにわれわれになついているアザラシを、私たち二人のために殺すのは、かわいそうでなりません。しばらく待ってください。いまに、きっとよくなりますから」
というのだ。
じつのところ、だれ一人、アザラシを殺したくはないのだ。しかし、人間の命にはかえられない。
「アザラシだって、人助けの薬になれば、きっとまんぞくするよ。みんなのするとおりにまかせておけ」
とさとしても、病人は承知しない。
「私たち二人は、そんなに大病人なのでしょうか。見はりやぐらの当番と、宝島当番はできませんが、かめの当番も、小屋掃除も、魚つりもできます」
こういって、いかにも元気そうに、立ち働いてみせるのだ。その心持は、まったくいじらしい。どうかして、なおしてやりたい。だが、病人にさからって、アザラシを殺したなら、
「あれほどたのんだのに、とうとう、アザラシから胆をとってしまった。してみると、じぶんは、ひどい病気なのだ」
こんなふうに、考えちがいをされてもこまる。もう少し、ようすを見てからにしよう、ということにしておいた。
友だちとして、かわいがっているアザラシを殺す、ということは、病人でないほかの者にも、大きな問題であった。口にこそ出さないが、みんなは、
「かわいそうなアザラシ。とうとう、くる時がきてしまったのだ。アザラシよ、われらを、なさけ知らずとうらむな。とうとい人間の命を助けるのだ。魚だって、かめだって、あのとおりお役にたっているではないか……」
「しかし、アザラシ殺しの役目には、あたりたくないものだ」
と思っていた。けれども、手配は、さすがにりっぱだ。
「いちばんききめのありそうな胆を持っているアザラシを、けんとうをつけておいて、いざとなってまごつかないようにしよう」
「薬のききめの多いのは、強いアザラシがいいのにちがいない。強くて胆の大きそうなアザラシをきめておこう」
と、いうことになった。そのけっか、しぜんに「むこう傷の鼻じろ」の胆をとることに、きまってしまった。そして、いよいよやる時には、みんなでくじを引いて、あたった三人が、胆とり役を、かならず引き受けることにしてしまった。
「鼻じろ」の胆を薬にしようときまったのは、八月の末であった。この時、小笠原《おがさわら》老人は、
「はっはっは、『むこう傷の鼻じろ』か。何しろアザラシの王様だ。すばらしい胆だろう。どんな病気だって、いっぺんにすっとぶよ。――だがね、あとがこわい。元気がつきすぎて、『鼻じろ』とおんなじに、しょっちゅうけんかか。そうして、おいらがなぐられてよ、『むこう傷のあかひげ』か――あっははは」
と、じょうだんをいった。するとすぐそばで、流木に腰をおろして、つり針の先を、ごしごしこすっていた川口は、立ちあがって、みんなの方にやってきた。
「いっとう強くて、胆の大きいのは、『鼻じろ』にきまっている。それが人助けのお役にたつのだ。やっぱりえらいや。お薬師様(病人をすくうといわれる仏さま)になるんだ……」
元気なく、しんみりといった。かれは、いつものように、胸をそらしていなかった。前かがみに、砂を見つめていた。
「鼻じろ」の胆をとることにきまってから、川口は、毎日のように、魚を持って、「鼻じろ」のところへ行った。
「おい。鼻じろ。おまえは二人の病気をなおすのだ。えらいんだぞ。この魚をたべてお役にたつまでにもっと強くなれ」
あらあらしい雄アザラシは、「ウオー」とほえて、魚をたべてしまうと、こんどは、川口の手に鼻をこすりつけて、うう、うう、うなりながら、あまえる。ひれのような前足で、川口をばたばたあおぐ。それから、鼻で川口をぐんぐんおして、なぎさにおし出して、しぶきを飛ばしていっしょに遊ぶ。いっしょにおよぐ。こうして魚を持っていくたびに、川口は、だんだんへんな気がしてきた。
「この『鼻じろ』が、殺されてしまったら、――いなくなったら……」
と、考えるようになった。
「さびしくなるなあ――」
と思うと、かなしい気もちが、心いっぱいにひろがるのだ。しかしすぐに、剛気なかれの本性は、それをふきけしてしまう。ちょうど、波がなぎさに、まっ白くくだけて、ぱっとひろがって消えてしまうように。
アホウドリのちえと力
こうして、数日がたつうちに、八月もすぎてしまった。十月になると、海がだんだんあれてくるであろう。それだから、九月いっぱいに、宝島から、運べるだけのものを本部島へ運んで、冬をこす支度をしておかなくてはならなかった。
それで私は、九月一日の朝早く、伝馬船《てんません》で本部島を出発して、あかつきの海を宝島へ向かった。一行は五人。私と水夫長と、宝島当番に交代する、三人の漕《こ》ぎ手であった。
正午ごろ宝島へ着いて、その晩も、二日の晩も、宝島にとまって、塩の製造、かめの捕獲、流木の貯蔵、本部島へ植えかえる草ブドウの根のせわなどのさしずをしながら、島中を念入りにしらべた。二日の午後、ふとしたことから、アホウドリは感心な鳥であると、つくづく感じたことがあった。
宝島には、十数羽のアホウドリが、いつでもいた。この鳥は日中、数羽ずつ群れて、海上を飛んでえさをさがしている。なにか見つけると、その一つのえさをうばいあって、大きなくちばしで、たがいにけんかをするのだ。これは、どこでも見られることだ。
さて、えさをたべて、おなかがいっぱいになると、その一群は、海面にうかんでつばさを休め、のんきそうに波にゆられている。
このアホウドリの一群が、波の上でつばさを休めている時には、きっと、そのなかの一羽が、なかまの上空を、ぐるぐる飛びまわって、見はりをしている。そして、ある時間がたつと、ふわりとなかまのうかぶ海面におりて、つばさを休める。すると、すぐに、ほかの一羽が飛びあがって、また、見はり番をして、ぐるぐる飛びまわっている。これは、その一群が海にうかんでいる間、一時間でも、二時間でも、きっとやっているのだ。
この見はり番は、アザラシもやっていて、べつにめずらしいとは思わないが、見はり番のアホウドリが海におりて、やっと波にうかんで、まだひろげたつばさをおさめないうちに、すばやく、ほかの一羽が舞いあがる。そのようすは、こんどはだれの番だと、きめてあるように見えるのだ。
水夫長は、すっかり感心して、その強い研究心から、
「船長。どの鳥が、命令するのでしょう」
と、きくのだ。これには、私もこまった。
「さあ、だれが命令するのかなあ……」
こう答えるより、しかたがなかった。
「鳥の法律かしら」
この水夫長のひとりごとには、みんな大笑いをした。しかし、よく考えてみると、どうして、笑うどころか、まだ人間にはわからない、むずかしい問題なのだ。
さて、この日の朝、昼飯のため、魚をつったところ、意外の大漁であった、夕食のために、残った魚を生ぼしにしておこうと、四、五十ぴきの魚を、流木の丸太の上に、ほしておいた。
私たちが、本部島に植える草ブドウの根をほって、ていねいに、草であんだむしろでつつんでいる間に、ただ一羽舞っていた、見はり番のアホウドリが、なまぼしの魚を見つけて、何かあいずをすると、海にうかんでいた一群のアホウドリは、いっせいに舞いあがってきて、なまぼしの魚を、おおかたさらって行った。
「この、アホウめ。おきゅうをすえてやれ」
と、腹を立てた漁夫が、なまぼしの残ったのにつり針をつけて、なぎさに投げておいて、一羽のアホウドリをつって、いけどりにした。そして、細い縄で、大きなくちばしを、しっかりとしばってしまった。
「人間さまの魚をとるから、こんなめにあうのだぞ。――舌切すずめの話を知っているか。おいらたちには鋏《はさみ》がないから、こうするんだ。おまえたちは、海から魚をとればいいのだ」
こういいきかせて、くちばしをしばったまま、はなしてやった。
おどろいたそのアホウドリは、島近くの海におりて、ばたばたさわいでいた。
ところが、こんどは、われわれがおどろいた。というのは、これを見たなかまのアホウドリどもは、くちばしをしばられたアホウドリのまわりに、いっせいに舞いおりてきて、かわるがわる、くちばしをしばってある縄をつっついたり、かんだり、引っぱったり、ながい間、こんきょくほねをおっていたが、とうとう縄を取ってしまった。
はじめから、海岸で、このようすを見ていたわれわれは、なんだかアホウドリに教えられたような気がした。
水夫長は、水夫と漁夫にいった。
「えさをとりあって、けんかばかりしている鳥が、ああやって、ちえと力を出しあって、なかまをすくうのだ。おどろいたなあ。おいらたちも、鳥にまけずに、しっかりやろうぜ」
私は、口にこそ出さなかったが、二人の病人は、どうしても、みんなの力とちえをあわせて、全快させないと、アホウドリに、はずかしいと思った。
川口の雷声《かみなりごえ》
宝島に二晩とまって、三日めの夜あけに、かめ、流木、塩、草ブドウを、伝馬船《てんません》いっぱいに積みこんで、宝島をあとに、本部島へ漕《こ》ぎだした。
いつもならば、三人が交代して宝島に居残るのであるが、飲料水タンクの石油|缶《かん》が、どうしたことか、急に三つとももりだして、知らぬ間にすっかりからになってしまった。そして、水のはいっているのは、ただ一缶だけ。それも、半分いじょう使った残りなのだ。宝島からは、一てきの飲料水も出ないのだから、これでは、安心して三人の当番を残してはおけない。それで、一時、全員ひきあげることにして、八人が伝馬船に乗って、出発した。「まわりあわせ」というのには、まったくふしぎなことがある。この水タンクが、三つとも急にもり出したことは、十六人にとって、たいへんつごうのいいことになったのだ。
九月三日の美しい日の出を、海上でむかえて、東へ
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