海鳥のひなは、卵から出ると、おしりに卵の穀をつけたまま、すぐに歩く練習をはじめ、少し歩けるようになると、ろくに羽ものびないのに、もう飛ぶ練習をはじめ、なぎさでおよぐけいこする。こうしてずんずん大きくなって、やがて親鳥といっしょに、島から飛びさって行くのだ。
 こうして、島の鳥は、毎日だんだん少なくなって、いつのまにか、またもとのように、数百羽の鳥だけが島にすむようになった。

   海がめの牧場

 鳥の大群が、島から飛びさったら、まもなく、海がめが、卵を生みに島にやってきた。
 七月になると、海がめが、ぼつぼつ、島へあがってくるようになった。つかまえたかめを、すぐに食べてしまうのは、もったいない。そこで、漁業長に、
「今から、冬の食糧の支度に、正覚坊を飼うことを研究してくれ」
 と、いっておいた。
 そこで、島へあがってきた、五頭の正覚坊をとらえて、大きな井戸に入れて、飼うことにした。この井戸は、われわれが島へあがった第一日めに、一生けんめいほったもので、まだそのまま、ほりっぱなしにしてあったのだ。
 結果がよかったら、かめを飼うための、大池をほるつもりでいたが、翌日見たら、五頭とも死んでいた。きっと、石灰質のたまり水に、中毒したのであろう。これで、かめの生洲《いけす》は、だめなことがわかった。
「それでは、正覚坊の牧場をこしらえよう」
 ということになった。
 海岸に棒杭《ぼうぐい》をうちこんで、じょうぶな長い索《つな》で、正覚坊の足をしっかりしばって、その索を棒杭に結びつけておいた。
 かめは、索の長さだけ、自由におよぎまわって、かってにえさをたべ、時には砂浜にはいあがって、甲羅をほしている。毎日見まわっては、索のすれをしらべ、索がすり切れて、にげて行かないようにした。また前足と、後足としばるところも、ときどきとりかえてしばった。
 そして、前につかまえたかめから、じゅんじゅんにならべて、棒杭につないだが、
 ついに、三十何頭かになって、すばらしいかめの大牧場が、二ヵ所もできた。そして、「かめの当番」をきめた。これは、毎日かめの牧場を見まわり、かめの世話をする、かめの監督さんだ。かめをとらえてから日数の多くなったもの、すなわち、古いものから、たべることにした。

 海がめの産卵がはじまってから、練習生と会員は、漁業長の指導で、これについての研究をはじめた。
 かめは産卵のため、夜、島にはいあがる。そして、砂地を後足で、ていねいにほって、そこに、正覚坊は、一頭が、九十から百七十個ぐらいの卵を生み落し、その上によく砂をかけて、海へ帰って行く。タイマイは、一頭で、百三十から二百五十個ぐらいの卵を生むことが、わかった。
 かめは卵を生みつけてから、ていねいに砂をかけておくけれども、足あとを砂の上にはっきり残しておくので、卵のある場所は、われわれには、たやすく見つかった。
 さて、かめが卵を生みつけた砂の表面は、日中はよく陽《ひ》があたって、砂の中は、ほどよい温度度をたもっているので、卵があたためられて、かえるのである。こうして、三十五日すると、しぜんに孵化《ふか》した、さかずきぐらいの大きさの赤ん坊がめが、くもの子を散らすように、ぞろぞろ砂からはいだして海へ海へとはって行くのだ。
 正覚坊の卵は、うまい。鶏卵より小さくて、丸く、灰白色の殻はやわらかで、中にはきみとしろみがある。そして、いくらゆでても、しろみがかたまらない。
 タイマイの卵も、うまい。しかし、その肉はにおいがあって、食用にならない。そしてこのかめは正覚坊よりは元気があって、よくかみついた。
 正覚坊のことを、一名アオウミガメというのは、暗緑色で、暗黄色の斑点《はんてん》があるからで、大きさも、形もよくにた海がめにアカウミガメというのがある。これは、からだが、うすい代赭色《たいしゃいろ》で、甲は褐色であるからだ。アカウミガメの肉は、においがあって、食用にならない。肉ににおいのあるかめは肉食をして、魚をたべているかめで、正覚坊は海藻《かいそう》をたべているから、においがないのだ。

 われわれは、魚とかめが常食で、卵がごちそうであるが、残念ながら野菜がない。
「青いものがたべたい」
 と、だれもが思った。
 そこで、島に生えている草を、よくしらべてみると、四種類あることがわかった。
 その中の一つは、葉をかんでみたら、ぴりっと辛かった。根をほってかむと、まるでワサビのようであった。
「これは、いいものを見つけた」
 と、それからは、この島ワサビをほって、さしみにそえて、たくさん使った。気のせいか、島ワサビをたべはじめてから、おなかのぐあいもいいようだった。
 おなかのぐあいといえば、鳥の卵と、かめの卵ばかりを、毎日たべつづけたとき、十六人とも、大便がとまってしまった。これには、まったくこまった。下剤がほしいが、そんなことをいったって、薬があるはずがない。しかしどうにもしかたがなくなったとき、目の前に無尽蔵《むじんぞう》にある海水を、おわんに半分ぐらい飲んだ。ずいぶんらんぼうなことだが、そうするとおなかがぐうっと鳴りだして、すぐおつうじがある。まったくの荒療治で、これでは、からだがよわるばかりで、くりかえしては、健康のためによくない。そこで、卵ばかりたべずに、かめや魚をとりまぜた献立を、料理当番に命令した。

   アザラシ

 島には、小さな半島があって、そこに、ヘヤシールという、小型のアザラシのいたことは、前に話したが、それについて私は、
「アザラシのところへは、だれも行くな。アザラシに、人間をこわがらせてはいけない。大病人のでたとき、アザラシの胆《きも》を取って、薬にすることもあろう。また、冬になって、アザラシの毛皮をわれわれの着物にすることもあろう。いよいよ食物にこまったら、その肉をたべよう。それには、いざという時、すぐにつかまえなくてはなんの役にもたたない。われわれは、小銃ひとつないのだ。手どりにしなければならないから、かれらに人間をこわがらせないように、だれもアザラシの近くに行くな」
 と、みんなに、かたくいいわたしておいた。
 ところが、十六人の中に、とても動物ずきな漁夫がいた。それは、国後《くなしり》である。かれは少年時代から、犬ねこはもとより、野の小鳥までもならした。口ぶえでよぶと、野の小鳥が、かれの肩にとまったというのだ。かれが漁夫見習となって、漁船に乗って、カムチャッカに行ったとき、アザラシの子をつかまえて、よくならしたことがあった。この島でも、アジサシのひなが、かれにはよくなついた。
 半島に、二、三十頭、いつでもごろごろしているアザラシを目の前に見て、動物ずきのかれは、じっとしていられなかった。船長の命令は、やぶることができない。しかし、いく日も、がまんにがまんしたあげく、かれは三日月の夜、つった魚をおみやげに持って、一人こっそり、天幕《テント》をぬけ出して、アザラシに近よって行った。まだ人間を知らない、毛皮の着物をきた動物は、はだかの人間と、すぐになかよしになった。
 それからは、夜中や、朝早く、少しの時間、かれとアザラシはいっしょにいた。かれが、この海の友だちの、のどやおなかをなでてやると、アザラシはあまえて、はなをならして、気もちよさそうに眠るくらいになった。
 ところが、帰化人の範多《はんた》も、前にラッコ船に乗っていたとき、アザラシの子を飼ったことがあって、かれも、こっそり、アザラシと親友になっていた。
 ある晩、アザラシ半島で、思いがけなくも、国後と範多とは、ばったり出あった。
「びっくりしたよ。なんだ、国後か」
「わしもおどろいたよ。範多か」
 こうして、アザラシならしの名人二人は、アザラシと友だちになった喜びを、ひみつにしておけなかった。二人は、人間の友だちを、一人つれ、二人つれて行っては、アザラシに紹介した。このことを運転士が知ったときは、水夫や漁夫たちは、たいていアザラシの友だちであった。
「アザラシに近よるな」
 これは、船長の命令である。結果はよかったにしても、アザラシに近づいたのは、たしかに、命令にそむいたのだ。
「規律をまもれ」
 これは、島の精神だ。
「アザラシとなかよしになったことが、とうとう、運転士さんに知れたらしい」
「どうしよう――こまったなあ……」
 アザラシの親友の、国後と範多は、ひたいをよせて、ささやきあった。
「あやまろう。それよりはかにしかたがない――」
 アザラシならしの代表国後は、おそるおそる運転士の前にでた。かれは、かしこまって、うつむいて、ぼそぼそとつかえながらいった。
「船長の命令にそむいて、アザラシのところへ、いちばんはじめに行ったのは、私です。すまないことをしました――ごめんなさい」
 運転士は、国後が、すっかりしおれているすがたに、まっ正直な心が、あふれているのを見た。
「こまったことをしたな。規律はよくまもるんだぞ。こんどのことは、私から船長へ、よくお話ししておこう」
「へい……すみません。お願い申します」
「これからは、気をつけるのだぞ。だが、せっかく友だちになったのだ。アザラシとは、いつまでもなかよくしろよ」
「へえ、ありがとうございます」
 国後につづいて、範多も運転士の前にでて、あやまった。
 こうして、ひや汗を流してあやまったあと、国後と範多は、はればれした顔色で、毛皮の友だちのいる、アザラシ半島をながめた。

   宝島探検

 炊事用のたきぎのたくわえが、日ごとに少なくなるのが目立って、たいそう心細くなってきた。使いつくしたらどうしよう。魚の骨や、かめの甲の代用では、とてもまにあわない。
 島から西の方に、べつの島のあることを、私は前に海図を見て、おぼえていた。それでみんなにそのことを話して、
「その島を、探検しょう」
 といった。探検ときくと、一同、われもわれもと、行きたい者ばかりだ。
 そこで、運転士と水夫長とにるすをたのんで、私と漁業長とは、櫓《ろ》を漕《こ》ぐことの達者な者四人をえらんで、探検に行くことにした。用意は、いちばんたいせつな飲料水として、雨水を石油|缶《かん》に一缶。井戸ほり道具、宝物のようなマッチの小箱一個、まんいちの食糧として、缶づめ数個、つり道具。これを伝馬船《てんません》につみこんで、六月二十日の朝、天気のよいのを見きわめて、いよいよ出発した。見送る者も出かける者も、真心をこめたあいさつがかわされた。
 小さな伝馬船で、海図も羅針儀も持たずに、おおよその見当をつけて、なんの目標もない、太平洋のまんなかへ乗りだして行くのだ。こういう場合、羅針儀はなくても、正確な時刻と、太陽の位置がわかれば、おおよその方角はわかる。しかし今は、時計もないのだから、おおよその時刻と、太陽の位置によって、方角をきめ、頭の中にえがく海図とてらしあわせて進むのだ。
 めざす島は、ひくい小さな砂の島だ。三キロメートルもはなれたら、見えはしない。少し方角がそれたら、島はもう見つかるまい。広い広い水の世界から、細い針でついたほどの小さな島を、さがし出そうとするのだ。らんぼうだと思えるだろう。じっさい、こういう航海は、ただ考える力と胆力にたよる、いちばんむずかしい航海術なのだ。しかし、海の上で経験をつんだ、きもったまの太い日本海員は、こういう探検に出かけるとき、どんなことがあっても、きっと島をさがし出す、という強い信念をもって出発するのだ。
 われらは、西だと思う方へ、海流にさからって櫓を漕いだ。二時間も漕いだ。龍睡丸《りゅうすいまる》が難破した岩のところを通りこして、ずんずん進んだ。それから先ははてもない、ただ水と空。伝馬船は、強いむかい潮を正面から受けて、およぐように進んで行った。だが、島はさっばり見えない。
 龍睡丸が難破した岩から、三時間ぐらいも漕いだ。太陽は頭の上にある。正午だ。それからまた二時間。午後二時ごろだ、しかし、まだ島は見えない。
 みんな前の方の水平線を見つめている。からだじゅうの神経が、目ばかりに集まったように、いっしんに見ている
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