と聞いたら、
「あれは無人島《ぶにんとう》です」
 といったのを、ブニンを、ボニンと聞きちがえて、とうとうボーニン島になったのだそうだ。
 さて、おいらが四歳の年の一月に、アメリカのサンフランシスコのいなかで、砂金がざくざく出るのを発見した者があった。そして、アメリカやヨーロッパのよくばり連中が、シャベルをかついで、さびしいいなかの港、サンフランシスコに、わんさわんさと出かけて行っては、砂金をほった。
 砂金がほしいよくばり病は、捕鯨船の乗組員に、すぐ伝染した。アメリカの、太平洋の港に碇泊《ていはく》中の、捕鯨船の水夫、漁夫、運転士までが、
「鯨よりも、砂金の方がいい」
 といっては、手荷物をかついで、船をおりたり、また、にげ出して行った。それで、何隻もの捕鯨船が、港に錨《いかり》を入れたまま、動けなくなってしまった。それから急に、アメリカの捕鯨船は、だめになった。
 だが、おいらの父親は、生まれつきの鯨とりだった。砂金なんか、見むきもしなかった。気もちのいい小笠原がすきだった。
 さて、おいらの願いがかなって、父親の船に乗せてもらって、太平洋へ鯨をとりに出かけたのは十一歳の春(
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