れはね、何千頭という大鯨が、べたいちめんに、いぶきをしていたというのだ。このことのあったつぎの年から、そのころ世界一さかんであった、アメリカ中の捕鯨船が、金華山沖にあつまって、めちゃくちゃに鯨をとった。なんでもしまいには、各国の、大小七百何|隻《せき》の捕鯨帆船が、金華山沖に集まったというのだから、太平洋の鯨もたまらない。
 一八二三年に、そのアメリカ捕鯨船が、小笠原の母島を発見した。小笠原島には、いい港がある。年中寒さしらずで、きれいな飲料水がわき出ている。木がおいしげっていて、いくらでもたきぎがとれる。そのうえ、鯨も島の近くに多い。そして、そのころは無人島だったから、上陸した乗組員は、天幕《テント》をはって休養したが、のちにはりっぱな家をたてて、幾人もの鯨とりが住まうようになった。
 おいらの父親も、小笠原に家をもったのだ。そして、おいらは、一八四五年(弘化《こうか》二年)に、この島で生まれて、フロリスト・ウィリアム、と名まえをつけられた。
 そのじぶん、捕鯨船では、小笠原島のことを、ボーニン島といっていた。なんでも話にきくと、日本のお役人に、
「あの島の名まえは、何というのですか
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