。女のおびのような、長い帆布に書くのだ。何年かののちには、大きなまき物になる。それから、帆布で読本をつくって帰化人に読ませた。これもまき物だ。
一日の仕事がすんで、夕方になると、総員の運動がはじまる。すもう、綱引、ぼう押し、水泳、島のまわりを、何回もかけ足でまわる。それから、海のお風呂《ふろ》にはいって、夕食という順序を、規則正しくくりかえした。
月夜には、夜になっても、すもうをとった。りっぱな土俵も、ちゃんとつくった。
夕食後には、唱歌《しょうか》、詩吟《しぎん》も流行した。帰化人が、英語の歌、水夫が錨《いかり》をあげるときに合唱する歌などを教え、帰化人は、詩吟を勉強した。
いよいよねる時間がくると、一日のつかれで、みんなぐっすり眠ってしまって、気のよわいことを、考えるひまがなかった。
こうやって、みんなが、気もちよくねこんでしまっても、見張当番はやぐらの上で、「船は通らないか」と、ゆだんなく、四方を見はっていたのだ。見張当番は、午後十時ごろまでが青年組、それから夜明けまでは、老年組の当番で、日中は、総員が交代でやぐらにのぼった。
茶話会
われら十六人にとって
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