経験がある。帰化人たちは、鯨とりの子孫だ。この人たちは、どうか大鯨に出あいますように、といいながら、銛の手入れをいつもしていた。
大西風
すっかり用意ができて、明治三十一年十二月二十八日、東京の大川口を出帆して、翌日、横須賀軍港に入港。海軍の水道から、いのちの水をもらって、大小の水タンクをいっぱいにしてから、いよいよ、元気に帆をまきあげて、太平洋へ乗りだした。
元旦《がんたん》の初日の出を、伊豆《いず》近海におがみ、青空に神々《こうごう》しくそびえる富士山を、見かえり見かえり、希望にもえる十六人をのせた龍睡丸《りゅうすいまる》は、追手《おいて》の風を帆にうけて、南へ南へと進んで行った。
一日一日と航海をつづけて、一月十七日には、目的の、新鳥島《しんとりしま》付近にきていた。
この日の朝は、濛気《もうき》が四方に立ちこめて、水平線ははっきり見えなかったが、海鳥は船のまわりを飛びかわし、その数は、だんだん多くなってきた。八時ごろになると、海水が、いままで、ききょう色の黒潮であったものが、急に緑白色にかわった。島が近くなったにちがいない。海の深さをはかってみると、十七|尋《
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