んにくだけて、小さい破片も残さなかった。しかし、漁船をまもっていた四人の漁夫は、さすがに、いくどか大しけの荒波をしのいできた勇士だ。一人のけがもなく、ぶじに残った。
 私は、みんなに命令するとすぐに、船長室に飛びこんで、必要な書類を[#「書類を」は底本では「書類な」]一まとめにして、しっかりとふろしきづつみにして、寝台の上においた。それからずっと甲板に出て、指図をしているうちに、大波が、右舷《うげん》からうちこんで、船長室の戸をうちやぶり、左舷へ通りぬけて、室内の物を、文字通り、洗いざらい持っていってしまった。海図も、水路誌《すいろし》も、コンパスも、波がさらっていった。
 まだ波に取られないのは、伝馬船一|隻《せき》。命とたのむのは、これだ。こればっかりは、どうしても失ってはならない。総員全力をつくして、伝馬船をまもった。
 こんなたいへんな時にも、十六人の乗組員は、よく落ちついて働き、とくに小笠原《おがさわら》老人は、よく青年をはげまして、上陸の支度をした。

 今夜にかぎって、時のたつのが、じつにおそい。夜明けが待ち遠しい。早く夜が明けますように――波をかぶりながら、神に祈った。
 小笠原島生まれの、帰化人の範多《はんた》が、私にきいた。
「島に、飲み水はありますか」
 私は、どきっとした。小さな珊瑚礁《さんごしょう》に、水の出るはずがない。しかし、せっかく島へあがっても、命をつなぐ水がないといったら、一同は、どんなにがっかりするであろう。
「水は出るよ」
 と、私は答えた。それも、あれこれと考えたすえ、うそと知りつつ、よほどまのぬけた時分に答えたのであった。
 とにかく、あと、一、二時間しんぼうすれば、夜が明ける。それまで船体は、波にたえしのげるだろう、と見こみをつけた。
 大波が、ずどうん、とおそって来るたびに、船体は、びりびりと、ふるえるようになった。甲板にはってある板のつぎ目がはなれて、一枚一枚の板が、うねりまがって、歩くのが困難となった。帆柱は、ぐらぐら動きだした。いつ倒れるかもしれない。
「マストに用心しろ」
 運転士が、みんなに注意した。

   伝馬船《てんません》も人も波に

 神様に願ったかいがあったか、やっと、夜がしらしらと明けかけてきた、暁の光で見ると、はたして暗礁《あんしょう》である。岩が遠くまでちらばり、怒濤《どとう》がしぶきをあげている。
 船から百メートルぐらいのところに、かなり大きな平らな岩が、水上に頭を出している。その岩と船との間に、わき立つ大波が、あばれくるっている。
「たぶん、島が見えるだろう。マストにのぼってみろ」
 いまにも倒れそうな帆柱《ほばしら》に、二人ものぼらせたが、朝もやがじゃまして、島を見せてくれなかった。
 私は、海図と水路誌の記憶によって、一同に申しわたした。
「島は見えない。ひとまず、近くのあの岩にあがって、それから島をさがしに行こう。船長は、さいごに上陸するが、船長が上陸できなかったら、一同は、ここから北の方に進んで行け。きっと島がある。その島に水がなかったら、北西の、つぎの島へわたれ。それが、ミッドウェー島だ」
「さあ、上陸だ。用意をしろ。持ち出す物をわすれるな。みんな、できるだけたくさんに服を着ろ。冬服も夏服も着ろ。くつ下をはいて、くつをはけ。帽子をかぶって、その上から、手拭《てぬぐい》やタオルで、しっかりと頬かぶりをしろ、おびになるものは、何本でもいいから、しっかりと胴中をしばれ。ジャック・ナイフ(水夫の使う小刀)を落さぬように――」
 みんなは、エスキモー人のように着ぶくれた。それは、これから先、衣服はなくてはならぬものであるし、また、珊瑚礁《さんごしょう》を洗う荒波を渡るとき、波にころがされても、けがをしないためであった。
「伝馬船おろせ」
 待ちかまえていた号令をきくと、一同は、今さらのように緊張した。全員が命とたのむのは、ただこの伝馬船だ。どんなことがあっても、安全におろさなくてはならない。もし、伝馬船が波にとられたら、もう十六人は、一人も助かるみこみはないものだと、だれもがかくごをしていた。まったくの真剣、命がけの仕事だ。伝馬船をおろす作業は、十六人の命が、助かるか、助からないかの大仕事であった。
 たえずおそってくる、大波のあいまを見きわめて、ほんの瞬間、「それっ」と気合をかけておろすのだ。まんいちにも調子がわるく、いじのわるい大波が、どっと伝馬船をもちあげて、ごつうん、と本船の舷側《げんそく》にたたきつけたら、伝馬船は、たちまち、ばらばらにくだけてしまうだろう。また、ざぶり、一のみに海の中へのみこんだら、それっきりである。

 そこでまず、この大波をしずめるために、油を流すことにした。
 大しけのときなど、よく船から油を流す。それは、油が海
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