かっている者のさけぶ声。浅くなりかたが、とても急だ。船は、一秒、一秒、暗礁の方に流されて行くのである。
「二十尋」(三十六メートル)
 もうあぶない。
「右舷《うげん》投錨」
 の号令をくだした。
 どぼん。がらがらがら……右舷の錨が、船首から海に落ち、つづいて錨の鎖の走り出すひびきも、いつもとはちがって聞える。事情は、まったく切迫している。
 ところが、海底は岩で、錨の爪《つめ》がひっかからない。船は、錨をがらがらひきずって、なおも流されている。
 浅い海底の岩にあたって、はねかえる波と、沖の方からうちよせる波が、深夜の海に、さわぎくるうのであろう。船の動きかたのはげしいこと、甲板《かんぱん》上の作業も、じゅうぶんにはできなくなった。
「錨が、ひけますっ」
 のどもさけろとばかり、大声の報告だ。船は、錨で止らずに、暗礁へむかって、どんどん流されて行くのだ。あぶない。
「左舷投錨」
 私は、すぐ号令した。左舷の錨も投げこまれた。二つの錨は、やっと海底を、岩を、しっかりとかいて、錨の鎖がぴいんとはった。

 その時は、運転士と水夫長が、船首で錨をあつかい、船長の私は、船尾《せんび》甲板で、指揮をしていた。帆船には、船橋はない。帆にふくむ風のようすを見て、号令をくだすため、指揮者は、船尾にいるのがふつうである。
 さて、錨の爪が海底をひっかいて、しっかりと止り、錨鎖《びょうさ》がぴいんとはれば、船首は、錨鎖にひき止められて、流れなくなる。そして、船尾の方が、ぐんぐん一方へまわりはじめて、まもなく、船ぜんたいが、錨の方に、まっすぐに向きなおって、碇泊《ていはく》のすがたになるのである。しかし、このようにして止った船首にうちあたる波の力は、動かぬ岩をうつ力とおなじに、強大なものである。
「錨鎖がはりました」
 運転士が、大声で報告した。
「ようし」
 私は、返事をした。まず、これでいいと思った。そのとたんに、
 どしいん。
 大波が、船首をうった。船首に、津波《つなみ》のように、海水の大きなかたまりが、くずれこんだ。船は、ぐらっと動いた。
 ぐゎっ。
 はらの底に、しみわたるようなひびきが、船体につたわった。
「しまった。錨は鎖が切れたな」
 と思うと同時に、はたせるかな、
「右舷錨鎖、切れました」
 悲壮《ひそう》なさけびの報告。私が、返事をしようとする瞬間に、またしても、
 ぐゎっ。
 腹に、びりっ、とこたえた。あ、二本とも切れたな、と思ったとき、
「左舷も切れた」
 うなるようなさけびが、船首にあがった。もういけない。
「総員、予備錨用意」
 私は、大声で号令した。これが、最後の手段なのだ。
「あっ」
 ごう、ごう、ひびきが聞えてきた。まっくらやみで、まわりはなにも見えないが、岩と戦う波のひびきだ。
 暗礁は近い。船は、切れた錨鎖を海底に引きずったまま、ぐんぐん岩の方へおし流されている。危険は、まったくせまってきた。あぶない。このままでは、船体は暗礁にぶつかって、めちゃめちゃにこわれてしまう。そして、沈没だ――
 船の運命は、今はただ、まんいちの用意につんである、予備錨にかかっている。総員は必死に、予備錨の用意にとりかかった。
 まだ、大波にゆられる、小船の上の経験のない君たちには、このときのようすは、想像もつくまい。なにしろ、まっくらやみで、まわりはなんにも見えない。夜中の一時すぎ、二時ちかくだ。
 ふかい海から、力強く、ぐっとおしてくる大きなうねりが、海面に少し頭を出している暗礁に、すて身の体あたりでぶつかる。それがはねかえってきて、あとからあとから、間隔をおいておしよせる波と、ぶつかり、ごったがえして、三角波となり、たけりくるっている。そこへまた、どっとよせてくる大うねり。すべてが力を合わせて、船をゆすぶるのだ。ことばでいえば、
 ――おどりくるった波が、船を猛烈に動かす――
 ――怒濤《どとう》が、船をもみくちゃにする――
 まあ、こんなものだが、じっさいはどうして、そんなものじゃない。
 ことわっておくが、この大波は、大しけの荒波ではない。天気はおだやかで、風はないが、上下に動くうねり波がおしてきて、暗礁にはげしくうちあたるのだ。
 総員は必死になって、予備錨用意の作業にかかっているが、前後左右に、はげしくかたむき動く甲板では、物につかまっていなければ、立ってもいられない。
 それに、さきに投げ入れた、右舷と左舷の錨は、船首の左右に一つずつ、いつでも使えるように備えつけてあったのだが、予備の大錨は、船首に近い上甲板に、しっかりしばってあるのだ。どんなに大波がうちこんでも、波にとられぬよう、いくら船が動いても、びくとも動かぬようになっている。もし、この錨が動いたら、甲板に大あなをあけるだろう。
 その、予備錨をしばってあ
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