、砂からふきあがって、私をつつむような気がする。いや、ほんとうに熱い。熱い息が、私の下腹にふきかかってくる。
 私は、ふと下を見た。そして、おや、と思った。熱い息をだしているのは、腰の下の丸太にぶらさがっている、万年灯であった。
 小さな灯明《とうみょう》ではあるが、熱がある。その熱に、四日も五日も、少しずつあたためつづけられて、行灯《あんどん》の上の方と丸太が、あつくなっているのだ。下腹が、だんだんあたたまって、気もちがいいこと。そう思っているうちに、いつのまにか、腹痛が、消えるようになくなっていたではないか。これは大発見である。私は、すっかりうれしくなって、立ちあがって、作業場へ行った。
「腹のひどくいたい者は、万年灯のつるしぼうに、腰かけてみろ」
 そういう私のことばの意味を、ときかねて、へんな顔をしている者もあった。
 しかし、それからは、腹の痛い者は、じゅんじゅんに、万年灯をつるした丸太に、腰をかけたり、またがったりして、腹をあたためて療治した。この万年灯病院にかかってからは、みんなの下痢もとまり、もとどおりがんじょうなからだになった。しおからい井戸水と、魚とかめの常食にも、なれたのであろうけれども。

   見はり番

 砂運びは、朝から晩まで、八日間つづけた。骨折りがいがあって、五月三十一日の夕暮には、海抜四メートルの砂地の上に、さらに、四メートルの砂山ができた。
 この、海抜八メートルとなった砂山をながめて、一同まんぞくだった。病人が、全力をつくして、きずいた山である。
 夕食のとき、砂山ができたとくべつ慰労のために、天幕《テント》の糧食庫から、果物のかんづめ二個を出してあけた。みんなは、おしいただいて、あまい果物を一口ずつたべた。
 私は、練習生と会員に、質問した。
「みんなの骨折りで、海面上、二十五フィートの砂山ができた。この上に立つ人の目の高さを、地面から五フィートとして、ぜんたいで、三十フィート(九・一メートル)の高さとなるが、水平線は、何カイリまで見えるか」
 このことは、だいぶ前に、学科で教えてあったのだ。
「答は、砂に、指で書いておけ」
 みんな、それぞれ、砂の上に計算をはじめた。
「秋田練習生、何カイリか」
「約六カイリであります。海面からの目の高さまでをフィートではかり、これを平方に開いて出た数が、おおよその見える距離のカイリ数をあ
前へ 次へ
全106ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
須川 邦彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング