なかった。もともと、龍睡丸の持主の報効義金《ほうこうぎかい》は、貧乏な団体であるため、冬の間、南の海で、ふかや海がめ、海鳥をうんととらえて、できればまっこう鯨もとって、利益をえようというのが、この航海の目的であったのだ。
 ついに私は、ホノルルの在留日本人に、一文なしでこまっているのだと、うちあけて相談すると、
「御同情します。われらも日本人だ、なんとかしましょう」
 と、ありがたいことばである。そして、日本字新聞は、「龍睡丸|義捐金《ぎえんきん》募集」をしてくれたが、このとき、ホノルルの外国人のあいだには、へんなうわさがひろがった。
「あの船を見ろ。日本の小さな帆船のくせに、あんな大きな日の丸の旗をあげたりして、なまいきなやつらだ。避難の入港だなぞといっているが、ホノルルへ入港するまえに、沿岸定期の小蒸気船を、追いこしたというではないか。大しけにあったなんて、税金のがれのうそつきだよ」
 ホノルルには、各国人がいて、こんなうわさをした。
 そしてやがて、港の役所から、
「至急、船長自身出頭せらるべし」
 という書面が、港に碇泊《ていはく》している龍睡丸に、とどいた。
 私が上陸して、役所に出かけて行くと、案内されたのは、大きなりっぱな部屋であった。正面に、太平洋の、大きな海図がかけてあって、その前の大テーブルに向かって、三人のアメリカ人の役人が、椅子《いす》に腰かけて、がんばっていた。
 私が、ずかずかと室にはいって行くと、役人は立ちあがって、握手をして、一とおりのあいさつがすむと、
「船長。さあ、おかけなさい」
 と、一つの椅子をすすめた。私は、それに腰かけて、三人の役人と、大テーブルをはさんで向かいあった。その大テーブルの上には、海図がひろげてあった。
 すぐに、役人の一人が、
「船長。あなたは、避難のため、ホノルルに入港したと、とどけ出ましたね」
 と、静かに、しかしきびしく、いいだした。そして、私の返事も待たず、テーブルの上の海図を指さして、
「しかし、この海図をどらんなさい。あなたの船は、ここで錨《いかり》を失い、大西風のため、帆柱が折れ、水タンクもやぶれて、ここまで流されたと、報告されているが、このへんから、海流は、北東から流れているし、北東貿易風もふいているはずだ。ぎゃくの海流と、風とを乗りきって、二千カイリにちかい航海のできる小帆船が、遭難《そうな
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