わけがあるのだ。
機械の力で走る汽船は、風や海流にかまわず、目的の方向に一直線に走れる。速力もわかっている。それだから、自分の船のいるところは、大洋のまん中でも、どこかわかっている。しかし帆船では、風を働かせて船を進めるのだから、風のふく方向や、風の強さ、それから海流などに、じゃまをされて、汽船のようには進めない。
それで、大海原《おおうなばら》で、帆船が汽船に出あうと、
「ここはどこですか」
と聞くのだ。これは、世界の海の人のならわしである。
水平線の一筋の煙は、太く濃くなって、やがて、帆柱、煙突、船体が、だんだんに水平線からうきだしてきて、近くなった。私たちは、大きな日の丸の旗を、船尾にあげた。船は小さくとも、日本の船だ。十六人の乗組員は、日本国民を代表しているのだ。むこうの汽船では、アメリカの旗をあげた。
午後三時四十分、両船の距離は八百メートルとなった。本船は、帆柱に万国信号旗をあげて、汽船に信号した。
「汝《なんじ》の経緯を示せ」
汽船は、わが信号に応《こた》えて、多くの信号旗をあげた。その信号旗の意味をつづると、
「西経百六十五度、北緯二十五度」
これで、本船のたしかな位置がわかった。
「汝に謝す」
お礼の信号をすると、
「愉快なる航海を祈る」
汽船はこの信号をあげつつ、ゆうゆう帆走する本船をおきざりにして、どんどん遠ざかり、やがて、水平線のあなたに、すがたをかくしてしまった。
こうなると、汽船と帆船とは、うさぎとかめの競走である。かめの本船は、ここで、針路をまっすぐにホノルルに向けた。
二十二日の朝、ホノルル沖についた。信号旗をあげて、港の水先案内人をよび、曳船《ひきぶね》にひかれて、龍睡丸は港内にはいって、碇泊した。
私は上陸して、ホノルル日本領事館にいって、領事に、海難報告書を出して、避難のため、この港へ入港したわけを説明して、べつに英文の海難報告書を、領事の手をへて、ホノルルの役所へとどけてもらった。
世界の海員のお手本
こうして龍睡丸《りゅうすいまる》は、ぶじに避難ができた。しかし、こまったことになった。船の大修繕をしなければならない。錨《いかり》を買い、糧食をつみこまなくてはならない。それだのに、龍睡丸には、準備金がないのだ。
まさか、こんな外国の港で、大修繕をしたり、糧食を買い入れようとは、夢にも思わ
前へ
次へ
全106ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
須川 邦彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング